あなたがもし、スーパーで「値上げ」の文字を見て少し不安になったことがあるなら――
それは、すでに“経済の波”の中を生きているということです。
景気という言葉はよく耳にしますが、実際のところ「景気がいい」「景気が悪い」とは何を指しているのでしょうか。私たちの暮らしにどんな形で影響しているのでしょうか。
世の中の経済は、決してまっすぐには進みません。まるで海の潮のように、波打ちながら進んでいきます。給料が上がって財布のひもがゆるむ時期もあれば、節約ムードが広がる時期もある――その波こそが景気循環です。
景気の波は、企業の生産、物価、雇用、そして私たち一人ひとりの消費行動のすべてを左右します。
本記事では、その波の正体を、4つの段階(好況・後退・不況・回復)に分けて解き明かします。
経済のリズムを知ることは、社会を読む力を養う第一歩です。
資本主義の「波」──計画のない競争社会
資本主義のもとでは、国が生産量を細かく計画して管理しているわけではありません。企業は「売れるだろう」と見込みを立て、自由に生産を行います。
その結果、社会全体の「需要(=ほしい量)」と「供給(=つくる量)」のバランスが崩れることがあります。これが景気の波を生み出す大きな原因です。
たとえば、出版社が「この本は売れる!」と思って1万部を印刷したのに、実際にはあまり売れずに在庫が山のように残ってしまう。これがまさに資本主義の特徴でもある「見込み生産」です。自由競争は活気を生み出しますが、同時にこうした「ズレ」も生むのです。
景気の4つの局面(Four Phases of the Business Cycle)
図を見てください。

景気の動きを波で表すと、山と谷を繰り返しながら右上へと少しずつ進んでいく様子が分かります。
この波の形こそが 「景気循環」です。
景気は、①好況 → ②後退 → ③不況 → ④回復 という4つの段階を繰り返します。
① 好況= Boom / Prosperity
好況のとき、世の中は明るいムードに包まれます。
企業の売上が伸び、給料も上がるため、人々は「今なら少しぜいたくしてもいいかな」と思うようになります。これが需要(demand)を押し上げ、モノがどんどん売れていきます。

一方、企業も「売れるならもっと作ろう」と考え、生産を拡大します。新しい機械を買ったり、工場を増やしたり、アルバイトをたくさん雇ったりします。
このように、「売れる」「儲かる」「もっと作る」という好循環が続くと、景気は一気に上昇します。
しかし、ここに落とし穴があります。企業が「まだ売れる」と思って生産を増やし続けると、いつしか作りすぎになってしまうのです。その勢いのまま、次の段階へと入っていきます。
② 後退= Recession
やがて、人々の買い物熱も少しずつ冷めていきます。
新しい商品も「もう持ってるから、今はいらないかな」と思うようになり、需要が減少します。

しかし、企業はすでにたくさんの製品を作ってしまっています。ここで生じるのが生産過剰です。倉庫には売れ残りの商品が増え、在庫が積み上がります。それでも最初のうちは、「そのうち売れるだろう」と強気のままですが、売れ行きが回復しないと気づいた瞬間、企業は生産を減らす決断をします。このとき、工場の稼働が減り、仕事が減り、経済全体の勢いも弱まっていきます。
こうして景気は「山」から「下り坂」に入り、後退局面となります。
この時期はまさに「慎重ムード」の広がる時期。
株式市場も「これから悪くなるのでは」という心理が先行し、株価が下がり始めるのが特徴です。
③ 不況= Depression
景気の谷にあたる時期です。

企業は、売れ残った商品を抱えたままでは経営が成り立たないため、生産調整(作る量を減らす)や 在庫調整(セールなどで在庫を減らす)を行います。
お店では「在庫一掃セール」や「クリアランスセール」などが増えます。このときの心理は、「とにかく出費を減らそう」というものです。
企業は新しい設備投資をやめ、家計も「いまは節約しよう」と財布のひもを固く締めます。
その結果、お金の動きが遅くなり、物価が下がる(デフレーション)こともあります。
しかし、この「冷えた時期」には実は重要な役割があります。経済が熱くなりすぎた状態を一度リセットし、次に向けて体力を蓄える期間なのです。
つまり、不況は「終わり」ではなく、「次の回復の準備期間」ともいえます。
④ 回復= Recovery
やがて、在庫が減ってくると企業は再び動き出します。

「そろそろ新しい商品を作ろう」「新年度に向けて売上を伸ばそう」といった声が上がり、生産が増え始めます。それに合わせて工場での雇用も回復し、人々の給料も少しずつ上向きます。
このときの心理は、「もう底を打った」「これから良くなるかも」という前向きなものです。人々が再び買い物をし、企業が投資を再開することで、経済全体が明るくなっていきます。
まさに“立ち直り”の時期であり、英語で言う Recovery(リカバリー)=回復 という言葉がぴったりです。
そして、再び景気が上向きになると、①の好況へと戻り、経済の波は新しいサイクルを描きます。
恐慌とは──景気後退が一気に加速するとき
景気の波が②後退から③不況に向かうとき、通常はゆるやかに下がっていきます。企業は在庫を少しずつ減らし、人々も少しずつ節約を始める。このように時間をかけて調整が進めば、経済は傷つきながらも立ち直ることができます。
しかし、まれにこの下り坂があまりにも急すぎることがあります。
企業の在庫が一気に売れなくなり、資金が回らず、倒産が続出する。人々も「お金を使うのが怖い」と感じて買い物をやめる。
こうして経済全体がパニック状態に陥る――
これが 恐慌 です。
英語では “Panic”(パニック) や “Crisis”(危機)と呼ばれます。
恐慌の例
世界恐慌(西暦1929年(昭和4年))
1920年代のアメリカ合衆国は、まさに①好況(Boom) の状態でした。
自動車や電化製品が飛ぶように売れ、「これからは株で一攫千金だ!」と多くの人が株式投資に熱中していました。まさに“モノもお金も回る好景気”の頂点です。
ところが、②後退(Recession) の兆しが見え始めます。実際の企業の利益がそれほど伸びていないのに、株価だけがどんどん上がり、
「そろそろ危ないのでは?」という不安が広がりました。
そして西暦1929年(昭和4年)10月24日、暗黒の木曜日(Black Thursday)。
投資家たちが一斉に株を売り始め、株価は大暴落。市場のパニックがあっという間に広がり、たった数日のうちに、好況の山の頂上から③不況(Depression) の谷底へと突き落とされました。
企業は次々と倒産し、銀行は閉鎖、失業者が町にあふれました。
経済が止まるほどの衝撃――これがまさに恐慌なのです。
昭和恐慌(西暦1930年(昭和5年))
アメリカ発のこのショックは、貿易を通じて全世界に広がりました。
日本でも輸出が激減し、工場の仕事がなくなり、農村では米や繭(まゆ)の値段が暴落。
③不況の谷を深く掘り下げるような形で、昭和恐慌(1930年〈昭和5年〉) が起こります。町工場では倒産が相次ぎ、農家では生活が立ち行かなくなり、「娘の身売り」といった悲しい出来事が現実のものとなりました。
恐慌とはまさに、社会全体の経済活動が“氷点下”になる状態なのです。
どんなに深刻な恐慌も、永遠に続くわけではありません。
やがて経済が底を打つと、人々や政府が「もう一度立て直そう」とする動きが始まります。
それが回復(Recovery) のきっかけになります。
恐慌を抜け出す道──④回復(Recovery)への手がかり
どんなに深刻な恐慌も、永遠に続くわけではありません。やがて経済が底を打つと、人々や政府が「もう一度立て直そう」とする動きが始まります。それが回復(Recovery) のきっかけになります。
アメリカ合衆国:ニューディール政策&「戦争経済」が回復の主因に
西暦1929年(昭和4年)の世界恐慌で最も深刻な打撃を受けたのはアメリカでした。
西暦1933年(昭和8年)に就任したルーズベルト大統領は、ニューディール政策(New Deal Policy)を打ち出し、公共事業を増やしたり、銀行制度を立て直したりしました。これにより、一時的に雇用や物価が安定し、「国家が経済を支える」という新しい方向性が示されました。
しかし、失業率は依然として高く、西暦1938年(昭和13年)には再び景気が悪化します。
本格的な回復が始まったのは、第二次世界大戦(西暦1939年(昭和14年)〜西暦1945年(昭和20年))で、軍需産業が急速に拡大してからです。軍需物資の大量生産によって工場がフル稼働し、失業者が一気に職場へ戻り、アメリカ経済は“戦時景気”として息を吹き返しました。
それでも、ニューディール政策はその後の社会保障制度(Social Security)や労働保護の仕組みなど、戦後の安定成長につながる「社会の土台」を整えたという点で重要な意義を持っています。
日本:高橋是清の政策で世界に先駆けた回復
昭和恐慌(西暦1930年(昭和5年))のあと、日本では当時の大蔵大臣 高橋是清 が、思い切った経済政策を実施しました。
金輸出の停止・金融緩和・公共事業の拡大という三本柱です。
第1に、金輸出の停止を行いました。当時の日本は、「金本位制」という仕組みを取っていました。これは、お金の価値を金という貴金属の量で支える制度です。つまり、日本円を発行するには、それに見合うだけの金を日本銀行が持っていなければならなかったのです。この制度のもとでは、外国との貿易で赤字が続くと、輸入の支払いのために金が海外に流れ出してしまいます。金が減ると、日本円の発行量も減らさなければならないため、国内にお金が回らなくなり、不景気がさらに悪化するという悪循環に陥っていました。
高橋是清はこの状況を変えるため、西暦1931年(昭和6年)に金の輸出をやめる(=金本位制を一時的にやめる)ことを決断しました。これは、「もう金の量に縛られず、必要なお金を国内に流そう」という方針の転換でした。
結果として円の価値(為替レート)は下がりましたが、そのぶん日本の輸出品が外国で安く買えるようになり、輸出産業が活気を取り戻したのです。
同時に、日本銀行に国債を引き受けさせ、世の中にお金を回す政策(金融緩和)を行いました。これにより、企業が資金を借りやすくなり、工場の生産も再開されます。さらに、道路や港湾の整備など公共事業を増やすことで、雇用を生み出し、家庭にお金が戻るようにしました。
こうして西暦1932年(昭和7年)ごろから日本経済は急速に回復し、工業生産や輸出が再び伸び始めました。
恐慌の影響がなお続いていた欧米諸国に比べ、日本は世界で最も早く恐慌から立ち直った国の一つとなります。
景気循環の4つの波──周期でわかる経済のリズム
景気は、ただ上がったり下がったりするだけではありません。そこには、「何がきっかけで動いているのか」というリズムの理由があります。
経済の波をよく観察すると、いくつかの周期的なパターンがあることが分かっています。
教科書では代表的な4つの波が紹介されていますが、それぞれの背景には人間の行動と企業の判断が深く関わっています。
キチンの波(約3〜4年周期)──在庫の波
最も短い周期の波が「キチンの波」です。キチンの波の名称は、イギリスの経済学者ジョセフ・キチンによる景気循環分析に由来します。
これは、商品の在庫の増減によって生じる波です。好況のとき、人々の需要が急に増えると、企業は「売れるうちにたくさん作ろう」と考えて生産を増やします。
ところが、景気が少し冷え込むと、「思ったほど売れない」商品が店や倉庫に残ります。
このような生産過剰が起きると、企業は一気に生産量を減らし、在庫を減らすために“セール”や“在庫一掃”を行うようになります。
こうした在庫の積み上げと調整が、だいたい3〜4年周期で繰り返され、経済全体の短期的な波となるのです。つまり、「キチンの波」とは、企業が「作りすぎては調整する」という人間的な判断のリズムとも言えるでしょう。
ジュグラーの波(約7〜10年周期)──設備投資の波
次に中期的な波として知られるのがジュグラーの波です。ジュグラーの波は、フランスの経済学者クレマン・ジュグラーが示した景気循環にちなむ名称です。
これは、企業が行う設備投資の変化によって生じます。
たとえば、新しい機械やシステムを導入すると、生産効率が上がり、利益も増えます。しかし、数年たつとその設備が古くなり、次第に効果が薄れていきます。
「そろそろ買い替えようか」と判断する企業が増えると、再び設備投資が増加し、景気が上向きます。
つまり、企業の「投資→効果→陳腐化→再投資」というサイクルが、およそ7〜10年ごとに景気のリズムを作っているのです。
この波は「企業の呼吸」とも言える中期的な動きであり、好況期には設備投資が増え、不況期には控えられるという自然な流れを反映しています。
クズネッツの波(約15〜25年周期)──建設の波
さらに長い周期の波が、クズネッツの波です。クズネッツの波は、アメリカの経済学者サイモン・クズネッツが提唱した景気循環理論に由来する名称です。
これは建設投資、特に住宅やビルなどの建て替えに関係しています。
建物には寿命があります。住宅なら20年ほど、ビルなら数十年で改修や建て替えが必要になります。この「建てる→使う→老朽化→建て替える」という流れが、15〜25年ほどの長い周期で経済全体に影響を与えるのです。
住宅ローンや都市開発の動きも、この波に拍車をかけます。人口が増える時期には住宅が大量に建てられ、人口が落ち着くと建設需要が減ります――
こうした人の暮らしと都市の成長のリズムが、クズネッツの波を作り出しています。
コンドラチェフの波(約50〜60年周期)──技術革新の波
最も長い周期の波が、コンドラチェフの波です。コンドラチェフの波は、ソ連(ロシア)の経済学者ニコライ・コンドラチェフが提唱しました。
これは技術革新によって生まれる長期的なリズムです。
蒸気機関が発明されたとき、世界は「産業革命」という新しい時代に入りました。
その後、電気の普及、自動車産業、コンピュータ、そして現代のAI(人工知能)など、新しい技術が登場するたびに、社会全体の生産構造が大きく変わってきました。
こうした技術の波は、単なる商品や機械の入れ替えではありません。人々の働き方・暮らし方そのものを変える力を持っているのです。そのため、影響は数十年単位に及び、経済全体の流れを根本から作り変える長期的な波となります。
もっとも、現代では技術の進化がかつてよりも速く、コンドラチェフのような長い周期は次第に短くなっているとも言われています。スマートフォンやAIの登場が、わずか十数年で社会を一変させたことを思えば、今の時代は「短縮されたコンドラチェフの波」のなかを生きているとも言えるでしょう。
まとめ
経済は、人間の心理と行動がつくる生きた流れです。
好況では「もっと買いたい」「もっと作りたい」という熱気があふれ、不況では「無駄を減らそう」「慎重になろう」という冷静さが戻ります。そのバランスの中で、社会は成長と調整を繰り返してきました。
この景気循環の仕組みを理解すると、ニュースの見え方も変わります。
「株価が上がった」「物価が下がった」といった出来事の背後に、どんな人々の行動や心理が動いているのかが見えてくるのです。
また、日本のように世界恐慌や昭和恐慌を乗り越えてきた歴史を知ることは、「経済の波」を単なる数字の変化ではなく、「人間の知恵の軌跡」として感じるきっかけにもなります。
景気の波は避けるものではなく、理解して乗りこなすもの。
社会のリズムを感じながら、次の「回復(Recovery)」の時代をどう生きるか――
それを考えることこそ、政治経済を学ぶ意味なのです。

