祝日「スポーツの日」と「日本開催の五輪の歴史」を解説してみた

スポーツの日についてわかりやすく解説してみました 日本の「国民の祝日」について考えるシリーズ
スポーツの日についてわかりやすく解説してみました
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執筆:加代 昌広 (KÁSHIRO Masahiro)

10月には、国民の祝日「スポーツの日」があります。

若い世代の方々は、「スポーツの日」がかつて「体育の日」と呼ばれていたことや、もともと10月10日に固定されていたことを知らないかもしれません。

しかし、スポーツの日は、ほんの数年前までは「体育の日」として多くの人々に親しまれていました。

今回は、国民の祝日の1つである「スポーツの日」について、その由来となった日本におけるオリンピックの歴史についてもわかりやすく解説してみたいと思います。

なお、この記事は、船橋市内の小学校で校長を務め、「日本が好きになる!歴史授業」のプロデューサーである渡邉尚久先生のお話を参考に作成しました。

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スポーツの日の起源と歴史

前述の通り、「スポーツの日」はもともと「体育の日」と呼ばれていました。

体育の日は、昭和39年(1964年)の東京オリンピックを記念して、昭和41年(1966年)に国民の祝日として制定されました。当初は、昭和36年に制定されたスポーツ振興法で定められた10月の第1土曜日を「スポーツの日」とする方針が尊重され、これに加えて東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)の開会式が行われた10月10日が「体育の日」として選ばれました。長年にわたり、小学校の運動会や地域のスポーツイベントが開催されるなど、日本人の秋の風物詩として愛されてきました。この「体育の日」は、国民がスポーツに親しみ、その精神を通じて健康な心身を培い、明るく住みよい社会を建設することを願って設けられたものです。

しかし、令和2年(2020年)に開催予定だった東京オリンピック・パラリンピックを契機に、名称が「スポーツの日」に変更されました。時代の変化に伴い、「体育」という言葉は学校の授業を連想させる一方で、「スポーツ」はより広範な活動を含む言葉として、スポーツの価値や社会的意義が現代においてますます重要視されるようになっています。平成30年(2018年)の祝日法改正により、その趣旨も「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」として、より広い意味でのスポーツの意義が強調されるようになりました。

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日本で開催されたオリンピックの歴史

ここで、日本で開催されたオリンピックの歴史を簡単に振り返ってみましょう。日本で開催されたオリンピックは、日本の歴史や文化に深い影響を与えてきました。

東京オリンピック [第18回オリンピック競技大会](昭和39年)

最初の例が、昭和39年(1964年)の東京オリンピック [第18回オリンピック競技大会]です。このオリンピックは10月10日から10月24日まで開催されました。アジア初の夏季オリンピック開催です。

戦後の経済発展を象徴するこの大会に向けて、新幹線や高速道路、ホテル、競技場などが整備され、「オリンピック景気」と呼ばれる好景気が日本経済を大きく後押ししました。

開会式は「晴れの特異日」と言われていた10月10日に国立競技場で行われることになりました(どうも実は違うらしい)。特異日というのは、その前後の日と比べて偶然とは思われない程の高い確率で、特定の気象状態(天気、気温、日照時間など)が現れる日のことを言います。「晴れの特異日」とは、晴れの日が多いということです。

では東京オリンピックの開会式の天候はどうだったのでしょうか?

実は、開会式前日は台風による悪天候でした。したがって、開会式の天候が心配されていました。しかし翌日の開会式の日。見事な秋晴れになりました。東京オリンピックの実況を務めたNHKの北出清五郎アナウンサーが、

「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます。」

という名文句を発しました。

聖火リレーの最終ランナーとして、広島に原爆が投下された日に広島で生まれた坂井義則選手が登場し、平和の象徴としてオリンピックの歴史に名を刻みました。

札幌オリンピック [第11回冬季オリンピック](昭和47年)

次に、昭和47年(西暦1972年)の札幌オリンピック [第11回冬季オリンピック]は、2月3日から2月13日まで開催され、アジア初の冬季オリンピックとなりました。日本は夏季も冬季も両方でアジア初のオリンピック大会開催国となったのです。

開会式は札幌の円山スキー場で行われ、雪の降る中でのセレモニーが非常に印象的でした。

このオリンピックでは、日本の「日の丸飛行隊」がスキージャンプで金・銀・銅を独占し、国内外で大きな話題となりました。

しかし、この大会は「アマチュア規定」に関する論争でも注目されました。

先の大戦の後、アルペンスキーの人気が高まり、選手がスキー業界からの支援を受けることが一般化しました。特に、選手たちはメディアに露出する際に、スキーの商標を目立たせるようになりました。この状況の中で、IOC会長のアベリー・ブランデージは、オーストリアのカール・シュランツ選手を「走る広告塔」として批判し、史上初めて金メダル候補の選手をオリンピックから追放しました。シュランツは有名メーカーの広告に登場していました。選手が自費で活動する時代は既に終わっていました。

カール・シュランツのこの失格事件は、オリンピックにおけるアマチュアリズムの転換点となりました。この年限りで退任したアベリー・ブランデージの後任にイギリスのキラニン卿がIOC会長に就任すると、オリンピック憲章から「アマチュア」の文字が消え、プロ選手の参加が認められるきっかけとなりました。実際にプロ選手がオリンピックに参加するようになったのは、昭和59年(西暦1984年)のサラエボ冬季オリンピックでアイスホッケーにプロ選手が参加したのが最初の例です。

その後、平成4年(1992年)のバルセロナ夏季オリンピックでは、バスケットボールの「ドリームチーム」としてNBAのプロ選手が参加するなど、他の競技でもプロ選手の参加が進みました。

今日ではプロ選手がオリンピックで活躍するのが当たり前となっています。

札幌オリンピックは、日本のスポーツ史に輝かしい瞬間を刻む一方で、オリンピックのアマチュア精神についての議論を促進した大会としても記憶されています。

長野オリンピック [第18回オリンピック冬季競技大会](平成10年)

続いて、平成10年(1998年)の長野オリンピック [第18回オリンピック冬季競技大会]は、2月7日から2月22日まで開催され、「自然との共生」をテーマに掲げました。長野オリンピックは20世紀に開催された最後の冬季オリンピックです。また、令和6年(2024年)現在で冬季オリンピックの開催地としては最も低緯度(最南端)なのだそうです。

開会式は長野オリンピックスタジアムで行われ、和の文化と現代技術が融合した演出が注目されました。大相撲の第64代横綱の曙太郎の土俵入りや雪が降る中でのトーチリレーが美しく、印象的な光景となりました。雅楽による君が代の演奏もとても心を打つものでした。

この大会では、スピードスケートの清水宏保選手が金メダルを獲得し、彼の爆発的なスピードは世界を驚かせました。スキージャンプ勢も活躍を見せ、個人と団体を合わせて金メダル2個と銀メダル1個と銅メダル1個を獲得しました。また、女子モーグルで里谷多英選手が日本人女性初の冬季オリンピック金メダリストとなり、大きな話題を呼びました。

さらに、ノルウェーのビヨルン・ダーリ選手がクロスカントリースキーで3つの金メダルを獲得し、冬季オリンピック史上最多の金メダル保持者としての名声を確立しました。

東京オリンピック [第32回オリンピック競技大会](令和3年)

そして、令和2年(2020年)に予定されていた東京オリンピック [第32回オリンピック競技大会]は、新型コロナウイルスのパンデミックにより令和3年(2021年)に延期され、7月23日から8月8日まで開催されました。

このオリンピックのテーマは「多様性と調和」であり、感染防止のため観客の制限がある中での開催となりましたが、世界中に配信された開会式の演出は希望と復興のメッセージを強く伝えました。

ここで問題となったのが、開会式における開会宣言の文言です。国家元首による開会宣言は、オリンピック憲章によってほぼ定型の文言が決められています。オリンピック憲章 (OLYMPIC CHARTER)の第55条第1項には、次のように規定されています。

〈英語〉
I declare open the Games of … (name of the host) celebrating the … (number of the Olympiad) … Olympiad of the modern era.

〈和訳〉
わたしは、第 …… (オリンピアードの番号) 回近代オリンピアードを祝い、…… (開催地名)オリンピック競技大会の開会を宣言します。

これを東京大会に当てはめると、次のような英文になります。

I declare open the Games of Tokyo celebrating the thirty-second Olympiad of the modern era.

ところが、新型コロナウイルスのパンデミックがまだ収束していない状況下で、「祝う」という言葉が適切ではないとの配慮から、実際に天皇陛下が宣言された「開会宣言」は、次のように変更されました。

「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します。」

ここでは、日本語で「祝う」ではなく「記念する」という表現が用いられています。開会宣言が政治的に利用されることを避けるため、IOC(国際オリンピック委員会)は国家元首による開会宣言の文言を定型化していますが、今回の第32回東京大会では、その文言が変更されました。

この変更は、事前にIOCに対して届出がなされており、内容的にも政治利用とは無関係であるため、許容されるものであると解釈するのが相当だと自分は考えます。しかしながら、この文言変更について一部から批判も寄せられているようです。

さて、競技の方では、日本の柔道では阿部一二三選手と妹の阿部詩選手がそれぞれ金メダルを同日に獲得し、兄妹での快挙を成し遂げました。また、水泳の大橋悠依選手が2つの金メダルを獲得し、日本の水泳界に新たな歴史を刻みました。

海外では、アメリカの体操選手シモーネ・バイルズがメンタルヘルスの問題を公表しつつも競技に復帰し、彼女の勇気とパフォーマンスが世界中で称賛されました。

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スポーツの日を通じて得られる学び

スポーツの日は、ただの休日ではなく、国民全体が健康と向き合い、スポーツを通じて活力ある社会を築くための重要な機会です。また、人生100年時代を迎え、健康で長生きするためには「食事」「運動」「睡眠・休養」のバランスが重要であることが再認識されています。

私たちはオリンピック選手にはなれなくても、日常生活において健康でいるためには、運動習慣を取り入れることが必要です。スポーツの日を契機に、身近な運動から始めて、健康的な生活を送りましょう。

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国民の祝日を考えるシリーズ – 制作のねらい

日本の祝日がいくつあるのか、ご存じでしょうか?

現在、「国民の祝日に関する法律」によって年間16日の「国民の祝日」が設けられており、その日は休日になります。

この法律には国民の祝日を制定する目的が定められています。

自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。「国民の祝日に関する法律」第1条より

「祝日」が「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」であることを踏まえ、一人一人の国民が、祝日の意義を考えて、それにふさわしい1日を過ごすことができるようになりたいものです。ところが、その意味について学校で解説されることはあまり多くありません。

そこで、日本まほろば社会科研究室のウェブサイトにコンテンツを立ち上げて、1つ1つの祝日について考えてみたいと考えるようになりました。

他の祝日については、以下のリンク先に掲載されています。

「国民の祝日を考える」シリーズ
本来学校できちんと教わるべき日本の祝日の1日1日の趣旨を教わることが少ない中で、日本まほろば社会科研究室は、客員研究員の加代昌広先生と共に日本の祝日を紹介するコンテンツを制作することにしました。
KÁSHIRO Masahiro [加代 昌広]

日本まほろば社会科研究室客員研究員
ブロガー、インスタグラマー、日本スペイン法研究会会員
 
法学の専門知識を活かし、日本とスペインの法制度について深く研究しています。日本スペイン法研究会の一員として「現代スペイン法入門」(嵯峨野書院)や「Introducción al Derecho Japonés actual」(Editorial Thomson Reuters – Aranzadi)の一部を執筆しました。

また、日本まほろば社会科研究室」内で、小中高校生向けの社会科教育に役立つ数多くのコンテンツの制作に協力し、自らもコンテンツの執筆を行っています(コンテンツはリンクをクリック)。

自身のさまざまな経験から得た「学びの楽しさ」を、日本まほろば社会科研究室からアップロードされるコンテンツを通じて共に学びを共有する皆さまに向けて伝えることを使命としています。

X JAPANやThe Last RockstarsのリーダーであるYOSHIKIさんの熱心なファンでもあります。

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