【国民の祝日シリーズ】勤労感謝の日の本当の意味とは?──新嘗祭・大嘗祭と天皇陛下の祈りに学ぶ

勤労感謝の日についてわかりやすく解説しました 日本の「国民の祝日」について考えるシリーズ
勤労感謝の日についてわかりやすく解説しました - 新嘗祭の意義を再考して
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執筆:加代 昌広 (KÁSHIRO Masahiro)

日本の祝日、11月には2つの祝日があります。

1つは文化の日です。それは11月3日で、元々は第122代の明治天皇のお誕生日(ご誕辰)をお祝いする日でした。詳しくは別稿をご覧ください。

そして、11月のもう1つの祝日が、11月23日の「勤労感謝の日」です。

この日は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう日」として「国民の祝日に関する法律」に規定されており、働くことの意義やその成果に感謝する日とされています。しかし、勤労感謝の日にはもっと深い意味が隠されています。

それはどのような意味なのでしょうか?

今回のコンテンツは、「勤労感謝の日」について、日本の伝統を踏まえて深く考察してみたいと思います。

なお、この記事は、船橋市内の小学校で校長を務め、「日本が好きになる!歴史授業」のプロデューサーである渡邉尚久先生のお話や、国語WORKSの松田雄一先生の授業内容を参考に作成しました。

なぜ「勤労感謝の日」は11月23日なのか?──新嘗祭との関係

勤労感謝の日が毎年必ず「11月23日」に固定されているのは、偶然ではありません。

この日は、古代から続く宮中祭祀きゅうちゅうさいしである「新嘗祭にいなめさい」が行われてきた特別な日であり、その伝統が祝日の根底に息づいています。

ここから、新嘗祭とは何かというお話をしていきます。

新嘗祭とは何か──意味・由来・どうして行われる儀式なのか

「新嘗祭」とは、日本の神話に由来する非常に古い祭りで、神々に対して秋の収穫に感謝するために、天皇陛下がその年の新穀を神々に捧げる儀式で、宮中祭祀きゅうちゅうさいしの中で最も重要だとされています。新嘗祭に関しての御製や御歌が多数残されていることからもそれは明らかです。

新嘗祭にまつわる御製が国語WORKSの松田雄一先生の動画の中で紹介されています。

新嘗祭において、天皇陛下におかせられましては、長時間に渡って正座をされ、新穀しんこく(=その年に新しく収穫された穀物のこと)を神々にお供えあそばされます。それは、豊かな実りを賜りましたことへの御感謝と、これからの国の安寧と五穀豊穣を祈り申し上げられるためです。さらに、お供えなさった新穀を、天皇陛下御自らもお召し上がりあそばされます

この所作には、神々から頂いた恵みを自らの御身にも受け入れ、それを国民とともに分かち合うという意味が込められています。

なぜ天皇陛下は新嘗祭を行われるのか?

それでは、なぜ天皇陛下におかせられては、神々に感謝のお気持ちをお示しあそばされるのでしょうか。

それは神話に由来すると考えてもよいでしょう。

日本書紀』や『古事記』には、日本の最高神であるとされる天照大御神あまてらすのおおみかみがお育てになった「斎庭ゆにわ稲穂いなほ」を孫の瓊瓊杵尊ににぎのみこと(「古事記」では邇邇芸命ににぎのみことと記されている)に授けられたことが記されています。

書き下された文を引用してみましょう。

高天原たかまがはら所御きこしめ斎庭ゆにわの穂を以って、た、みこまかせまつるべし。

日本書紀「斎庭稲穂の神勅」より

簡単に意味をとると、「わたくし(天照大御神)が治める高天原の神聖な稲穂を、今ここで育て実らせたものを、そのまま、わたくしの孫(=)である(=瓊瓊杵尊[邇邇芸命])に授けましょう。この稲穂をもって、人々を養い、国を治めなさい。」という意味です。つまり、天照大御神が、米をはじめとする稲作こそが、人の命を支える基本になるので、この稲穂をわが子に託し、地上の国(=日本)で民を養い、治めなさい」と仰せられた場面です。これを斎庭の稲穂の神勅と申し上げます。

神話によれば、天照大御神の御孫にあたられる瓊瓊杵尊[邇邇芸命]は天孫降臨てんそんこうりんと呼ばれる出来事において、高天原から地上の国へと降り立たれました。降臨の地は日向ひむか=現在の宮崎県周辺であったと伝えられます。

瓊瓊杵尊[邇邇芸命]におかせられては、天照大御神より授けられた稲穂とともに、「この地を治め、稲作を広め、民の暮らしを支えよ」という御使命を帯びておられます。その後、瓊瓊杵尊の御子、御孫へと血脈は受け継がれ、やがて神武天皇が奈良の橿原宮で即位され、初代天皇となられました。

それ以来、天皇の御系統は一度も絶えることなく脈々と続き、今上陛下に至るまで受け継がれてきたとされます。つまり、天照大御神から授けられた稲穂と、国の安泰・民の幸せを祈るという御使命は、瓊瓊杵尊から神武天皇、歴代天皇を経て、現代の天皇陛下へと連綿と伝えられているのです。

では、なぜ天皇陛下は今も新嘗祭をお務めになっているのでしょうか。

それは、単なる伝統行事だからではありません。日本という国そのものの成り立ちが、「稲の恵みによって人々が生きる国である」という世界観の上に築かれているからです。

日本の神話では、天照大御神が稲穂を授け、「この稲をもって国を治めよ」と命じられた瞬間から、天皇とは“食と命を守る存在”であると位置づけられました。この考えは後の時代にも受け継がれ、天皇は「政治的支配者」というよりも、「国の安寧と五穀豊穣を祈る存在」として理解されてきました。

その象徴的な役目こそが、新嘗祭です。

天皇陛下におかせられては、新たに実った稲を神々にお供えになり、御自らもお召し上がりあそばすことで、神々から賜った恵みを国民とともにいただくという意味をあらわされているのです。

この稲穂が象徴するように、日本人は2000年以上にわたり、春には豊作を祈り、秋には収穫に感謝する稲作中心の生活を繰り返してきました。新嘗祭は、その感謝の心を具現化する伝統行事なのです。

新嘗祭は「新米だけの儀式」ではない

「斎庭の稲穂」のお話をしていると、「新嘗祭」=「新米」だけに注目しがちですが、本来は「新穀しんこく」=その年に収穫されたすべての穀物を意味します。

穀物の解説については、国語WORKSの松田雄一先生の動画がとても詳しいです。

穀物ってなんだろう?国語WORKSの松田雄一先生の動画チャンネルです。

松田先生が動画でもおっしゃっているように、「穀物」とはお米だけでなく、麦や蕎麦なども穀物です。古代の庶民が日常的に食べていたのはむしろ「麦」や「雑穀」であり、米は特別な場で使われる貴重な作物でした。

新嘗祭は、食と命の根源に立ち返る儀式であり、稲作文化の長い歴史を体現しています。

戦後、なぜ“新嘗祭”は“勤労感謝の日”になったのか – GHQの占領政策

現在の「勤労感謝の日」は、もともと宮中で行われてきた新嘗祭にいなめさいをもとにしています。しかし、戦後の日本では、この名称も意味も大きく変化しました。

昭和20年(西暦1945年)、日本の敗戦の後、日本はGHQ(連合国軍総司令部)の占領下に置かれました。そこで、GHQは「神道指令しんとうしれい」を出し、国家が神道や皇室の祭祀さいしに関与することを禁じました。GHQの占領政策により、ここから日本人に根ざしていた様々な祝日の位置付けの変化を余儀なくされます。

昭和23年(西暦1948年)、日本国憲法の施行に続き、「国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)」が制定されます。そこで、元日(1月1日)、成人の日(1月15日)、春分の日(毎年3月20日から3月21日ごろ)、天皇誕生日(4月29日)、憲法記念日(5月3日)、こどもの日(5月5日)、秋分の日(毎年9月22日から9月24日ごろ)、文化の日(11月3日)及び勤労感謝の日(11月23日)の9日が祝日として定められました。国会で議論がありましたが、その背景には、国家と神道・天皇の関係を切り離そうという考え方が反映されました。

その結果、以下のように名称が変更され、位置付けも変わることになりました。

旧名称(戦前)新名称(戦後)
春季皇霊祭春分の日
秋季皇霊祭秋分の日
新嘗祭勤労感謝の日

「新嘗祭」は、宗教色・皇室色の強い名称とみなされて公的な祝日として用いられなくなり、代わって「勤労感謝の日」という名前が定められました。「国民の祝日に関する法律」では、「勤労感謝の日」の意味を次のように定めています。

「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」

国民の祝日に関する法律第2条

つまり、祝日の表向きの意味は、神々への収穫感謝から、人と人との感謝・労働の尊さへと置き換えられたのです。これにより、新嘗祭は国家の祝日ではなく、天皇陛下が宮中でおこなわれる私的・宗教的な行事と位置づけられるようになりました

新嘗祭の精神は現代の日本で失われてしまったのか?

新嘗祭は、天皇陛下が新たに収穫された稲を神々にお供えし、御自らも口にされることで、自然の恵みと人々の勤労に感謝なさる宮中の大切な祭祀です。かつてはこの日がそのまま国民の祝日でもありましたが、戦後の占領政策によって名称は「勤労感謝の日」へと改められ、宗教的・皇室的な要素は表向きには切り離されました。

そのため、「新嘗祭の精神は失われてしまったのではないか」と感じる人もいるかもしれません。しかし実際には、形が変わっただけで、その根本にある考え方は、今も私たちの暮らしの中に生き続けています。

現代の私たちは、季節にかかわらず食べ物を手に入れることができる便利な社会に暮らしています。スーパーやコンビニエンスストアには豊富な食料が常に並んでいます。私たちはお金を払えば簡単に食べ物を手に入れることができるようになり、食料が不足するという恐怖を感じることはほとんどありません。

しかし、私たちの食料供給が常に安定しているのは、当たり前のことではありません。農作物の生産は依然として自然環境に大きく依存しています。天候や気候の変動、災害などによって、農作物が育たないことも少なくありません。例えば、干ばつや洪水、異常な低温や高温が続いたり、農作物の生産地が地震などによって被害を受けたりすれば、作物は枯れてしまい、収穫量が大幅に減少することがあります。

このように、現代の農業がいかに進化しても、自然の力を完全に制御することはできません。このことは、私たちが自然の恩恵をいかに頼りにしているかを再認識させてくれます。新嘗祭がもつ精神、すなわち「自然からいただいた命に感謝し、働く人々を尊ぶ」という心は、現代社会においても決して過去のものになったわけではありません

むしろ便利な時代だからこそ、あらためて意識しておきたい、日本文化の源流と言えるのではないでしょうか。

「勤労感謝の日」は、単に人間の労働に対する感謝を表すものだけではないと思います。新嘗祭の精神を受け継いでいくべきなのは明らかです。新嘗祭が持つ意味を理解することで、勤労感謝の日の本来の意味をより深く理解できるでしょう。

よく聞かれること「新嘗祭と大嘗祭の違いは?」

これまで説明をしてきたように、「新嘗祭」とは天皇陛下が一年の収穫を神々にお報せになり、自然の恵みと国民の勤労に感謝される宮中祭祀です。毎年11月23日に行われ、今でも今上陛下御自ら、皇居・神嘉殿において新穀をお供えになり、口にされるものです。ここまでが復習です。

これに対して、大嘗祭だいじょうさいとは、天皇が御即位された後に一度だけ執り行われる、特別な新嘗祭のことです。どのように特別なのかというと、大嘗祭には、天皇陛下の御代みよが新しく始まることを、神々に奉告し、正式にお認めいただく儀式という意味が重ねられているからです。この儀式を終えることで、陛下には「天皇としての真の霊性みたまが宿る」と古くから信じられてきました。

そのため、儀式の準備や規模も新嘗祭とは大きく異なります。皇居の敷地内には、本儀式のためだけに「大嘗宮だいじょうきゅう」と呼ばれる特別な祭場が建てられます。また、全国から占いにより選ばれた二か所の田(悠紀田・主基田)で収穫された新米のみが用いられます。儀式の後、大嘗宮は取り壊され、跡を残しません。これもまた、その御代一代限りの神聖な儀式であることを示す象徴的な行為です。

以下のInstagram記事は、日本まほろば社会科研究室のInstagramにて掲載したもので、筆者が令和の大嘗祭の御儀がつつがなく執り行われた後に一般公開された折に皇居に足を運び、大嘗宮の様子を拝見した際の記録です。

この大嘗祭の根底には、日本の神話の思想があります。天照大御神から瓊瓊杵尊ににぎのみこと[古事記: 邇邇芸命]へ授けられた稲穂と、国と民の安泰を祈る御使命は、初代の神武天皇、そして歴代の天皇陛下を通じて、今上陛下に至るまで連綿と受け継がれてきたとされます。大嘗祭とは、まさにその“稲と祈りの継承”を、今上陛下がお一人で静かに、しかし厳粛にお引き受けになる儀式だと考えられてきたのです。

勤労感謝の日をどう過ごしたらいい?

さて、勤労感謝の日をより豊かに過ごすための方法を提案します。

1. 新米を楽しむイベントを開催する

勤労感謝の日を「新米解禁日」として祝うのはいかがでしょうか。地元産のお米を使った料理を楽しむことで、その年の収穫を祝うと同時に、天からの恵みに感謝する気持ちを深めることができます。毎年、ボジョレヌーボーを日本人が祝っていますが、同じようなことを新米でできると面白いかもしれませんね。新米パーティーを家庭で実施するのは面白いと思いますよ!

最近は9月ぐらいから新米が出荷されるのでなかなかこれを実施するのは難しいかもしれません。

2. 学校給食で「米飯」を献立にする

11月23日の前後に地元のお米を使った米飯給食を提供し、新嘗祭の伝統を生徒たちに伝えるのはいかがでしょうか。

これは、ただの給食ではなく、神話に由来する伝統行事の一環として位置づけられており、日本の農業と文化を学ぶ良い機会となっています。

教師が授業で新嘗祭の話をすることで、生徒たちはこの伝統行事の意味を深く理解し、日本の歴史や文化への感謝の念を育むことができます。

3. 感謝の手紙を書いて贈る

自分たちが受けている自然の恵みや、日々の労働を可能にしてくれている神々に感謝の気持ちを込めた手紙を書いてみましょう。また、日頃の生活を支えてくれる人々にもその感謝を伝えることで、感謝の輪が広がります。

4. 地域の収穫祭やマルシェに参加する

勤労感謝の日の前後に、地域で開催される収穫祭やマルシェに参加することで、自然の恵みを身近に感じることができます。地元の農産物を味わいながら、神々と自然への感謝を心に刻みましょう。

5. 自然と触れ合う日として過ごす

自然と触れ合い、その恵みを感じるアクティビティを楽しみましょう。近くの公園や山でのピクニックや秋の自然散策を通じて、自然の豊かさを感じ、神々への感謝を深めることができます。

日本の伝統を未来に繋げる

勤労感謝の日は、単に労働に感謝するだけの日ではなく、古代から続く新嘗祭の精神を受け継ぎ、自然の恵みに感謝する日でもあります。現代の豊かさの中で忘れがちな「自然の恵み」に対する感謝の心を大切にし、この祝日を迎えることが重要です。

この日を通じて、日本の伝統文化に基づいた感謝の心を育み、次世代に伝えていくことが求められます。私たちが毎年この日を迎える度に、新嘗祭の精神を思い起こし、自然と共に生きる日本人としてのアイデンティティを再確認する機会としたいものです。

「新嘗祭」を歌ってみよう! – 小学校祝日大祭日儀式唱歌

最後に、明治時代に作られた「新嘗祭」の歌を紹介して国民の祝日のお話を終わることにしましょう。

「新嘗祭」は、明治時代に小学校の祝日大祭日儀式唱歌として作られました。作詞は小中村清矩こなかむら きよのり、作曲は辻高節つじ たかみさによるものです。小中村清矩は、明治時代の教育者であり、国学者としても知られています。辻高節は、宮内省雅楽部に所属し、雅楽の演奏や普及に尽力しましたが、多くの学校唱歌も手掛けました。この歌は、当時の教育現場で子供たちに日本の伝統行事や文化を伝えるために作られ、収穫への感謝と神々への祈りを歌詞とメロディで表現しています。明治時代の教育方針の一環として、子供たちに日本の伝統や文化を理解させる目的で広く歌われました。

では、ここで歌詞の意味の解説をしてみましょう!

たみやすかれと 二月きさらぎの 祈年祭としごいまつり しるしあり
国民の安寧を願って2月の祈年祭が行われ、その祈りが実を結びました

千町ちまち小田おたに うちなび 垂穂たりほの稲の 美稲うましいね
広大な田んぼに、風になびくたわわに実った稲の美しい穂が揺れています

御饌みけに作りて たてまつる 新嘗祭にいなめまつり とうとしや
その稲を神様への供物として調理し、新嘗祭でお供えします なんと尊いお祭りなのでしょう

簡単に解説をすると、「祈年祭」というのは毎年2月にその年の豊作を祈るお祭りのことを指します。現代でも行われている大切なお祭りです。

「験」というのは「効果」とか「成果」とか「ご利益」といった意味を持ちます。「千町」というのはここでは「広大な面積や豊かな土地」を象徴する言葉として使われています。「垂穂」は「たりほ」と読みますが、漢字を充てると「実った稲の穂が垂れ下がる様子」だということは見当がつくと思います。「美稲うましいね」は「美しい稲、良質な稲」を意味します。「御饌」は神様に供える食事を指します。

単語の解説はこれぐらいにしておきましょう。

天の恵みによって稲が育って実がなった情景が思い浮かんでくる美しい詞だなと思いますが、みなさんはどのように感じますか?

最後に、詞の意味の解説も終わったので、もう一度メロディーを聴いてみましょう。お手本はありませんが、よかったらぜひ歌ってみてください。

1年の国民の祝日は「勤労感謝の日」でおしまいになります。

日本の次の祝日は年が明けた元日です。元日も日本人にとって大切な祝日です。どのように大切なのか?についてはぜひ別稿をご覧ください!

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国民の祝日を考えるシリーズ – 制作のねらい

日本の祝日がいくつあるのか、ご存じでしょうか?

現在、「国民の祝日に関する法律」によって年間16日の「国民の祝日」が設けられており、その日は休日になります。

この法律には国民の祝日を制定する目的が定められています。

自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。

「国民の祝日に関する法律」第1条より

「祝日」が「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」であることを踏まえ、一人一人の国民が、祝日の意義を考えて、それにふさわしい1日を過ごすことができるようになりたいものです。ところが、その意味について学校で解説されることはあまり多くありません。

そこで、日本まほろば社会科研究室のウェブサイトにコンテンツを立ち上げて、1つ1つの祝日について考えてみたいと考えるようになりました。

他の祝日については、以下のリンク先に掲載されています。

「国民の祝日を考える」シリーズ
本来学校できちんと教わるべき日本の祝日の1日1日の趣旨を教わることが少ない中で、日本まほろば社会科研究室は、客員研究員の加代昌広先生と共に日本の祝日を紹介するコンテンツを制作することにしました。
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