資本主義と社会主義 – その考え方と考え方の変遷

資本主義と社会主義をわかりやすく解説 経済理論と経済思想
資本主義と社会主義をわかりやすく解説
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価格は誰が決め、工場はなぜその量を作り、店はどうして棚に並べるのか。そこには「市場に任せる」資本主義の論理が働いています。

一方で、景気後退や格差、環境負荷が大きくなったとき、私たちは「どこまで政府が関与すべきか」という社会主義的な発想に手を伸ばしてきました。

本稿は、私有・競争・利潤と、公有・計画・平等という二つの設計図を、歴史の流れと具体的な制度から読み解き、21世紀の現実にどう接続できるかを考えるためのコンパスです。

では、そもそも「資本主義」と「社会主義」とは

  • どんな経済体制で、
  • どのように生まれて変化してきたのでしょうか。

ここでは歴史的な流れとともに両者の特徴を整理してみます。

資本主義 ― 市場に任せる経済の仕組み

資本主義とは何か?

資本主義は英語で「capitalism」といいます。基本的には「市場経済」とも呼ばれ、政府が細かく指示するのではなく、市場における自由な取引に任せることを前提にしています。そこでは「弱肉強食・優勝劣敗」という考え方が働き、強い企業が勝ち残り、弱い企業は淘汰されます。

資本主義の大きな柱その1: 私有財産制度について

資本主義の大きな柱は、まず私有財産制度です。生産に必要な土地や工場、機械などを個人が所有することが認められています。私たちは普段「財産を持つのは当たり前」と感じていますが、それは資本主義という仕組みを前提にしているからです。

なぜそうなるのでしょうか。資本主義では「利益を求めて競争すること」が経済の原動力になっています。もし自分が一生懸命に新しい工場を建てても、その工場を国や他人にすぐ取り上げられてしまったら、誰も投資や努力をしようとは思いません。逆に「土地や機械を持てば、それを使って得た利益は自分のものになる」と認められているからこそ、人々はリスクを負ってでも挑戦しようとします。

また、歴史的に見ても「私有財産が認められること」は近代の大きな転換点でした。封建社会では土地や農地は領主のものであり、農民はただ年貢を納める立場でした。しかし市民革命を通じて「個人が自由に財産を持ち、その財産を使って経済活動を行う権利」が保障されるようになり、資本主義が本格的に発展しました。

つまり、資本主義における私有財産制度とは、単なる「モノを持つ権利」ではなく、人々に努力や投資の意欲を与える仕組みであり、経済を前に進めるための基本ルールなのです。

資本主義の大きな柱その2: 自由競争について

次に自由競争です。資本主義では、政府が価格や生産量を細かく決めるのではなく、市場における需要と供給の関係によって決まります。ここでいう「需要」とは、人々が「買いたい」「利用したい」と思う気持ちや量のことです。一方の「供給」とは、企業や生産者が「売りたい」「提供したい」と思う財やサービスの量のことです。この二つの力がぶつかり合うことで、商品の価格や生産量が自然に調整されるのです。これを「市場メカニズム」と呼びます。

では、なぜ自由競争が資本主義の前提なのでしょうか。資本主義の基本的な考え方は、「よりよい商品やサービスを提供した者が利益を得る」という仕組みです。もし競争がなければ、誰も工夫をせず、質の低い商品を高い値段で売ろうとするかもしれません。しかし、自由に競争できる社会では、企業はお客さんに選んでもらうために価格を下げたり品質を高めたりと努力せざるを得ません。その結果、全体として技術革新が進み、社会全体の経済が成長するのです。

歴史的に見ても、この「自由競争」が資本主義を発展させてきました。中世ヨーロッパではギルド(同業者組合)が新規参入を制限していましたが、市民革命を経てギルド的な規制がなくなると、多くの人が新しい商売に挑戦できるようになりました。これが産業革命のイノベーションを後押しし、資本主義社会を大きく前進させたのです。

もちろん自由競争には限界もあります。たとえば大企業が競争相手を次々に買収してしまうと、市場にはほとんどライバルがいなくなります。これが独占の状態です。本来なら「安くて良い商品をつくろう」と企業同士が努力するはずなのに、競争がなくなると値段は下がらず、質も向上しにくくなります。自由競争が機能しなくなると、市場の仕組みそのものが資本主義の力を発揮できなくなってしまうのです。また、自由に競争する中で、環境破壊や公害のように「社会全体では損になるのに企業にとっては利益になる」という事態が起こることがあります。需要と供給だけに任せても、環境への悪影響や貧富の差の拡大といった問題は自動的に解決されません。これを「市場の失敗」と言います。

このように独占や市場の失敗は、資本主義が前提としている「自由競争による発展の仕組み」を壊してしまいます。だからこそ資本主義の限界とされ、政府が独占禁止法を整備したり、環境規制や社会保障を導入したりする必要が出てくるのです。それでも資本主義が「競争」を重視し続けているのは、競争こそが経済を前進させる最大のエンジンだからです。

資本主義の大きな柱その3: 利潤追求の自由について

さらに利潤追求の自由があります。利潤とは「かけたお金よりも多く得られる利益」のことです。資本主義では、企業や個人ができるだけ多くの利潤を得ようと努力することが認められており、それが経済全体の動きを作り出しています。

なぜこれが資本主義の前提になるのでしょうか。利潤を求める自由があるからこそ、人々は新しい商品やサービスを考えたり、生産方法を改良したり、リスクをとって投資に挑戦したりします。もし「利益を出してはいけない」と決められてしまったら、多くの人は新しい挑戦をやめてしまうでしょう。利潤を追い求めることが、結果的に技術革新や経済成長のエンジンとなっているのです。

歴史的に見ても、利潤追求の自由が資本主義の発展を後押ししてきました。産業革命の時代、資本家はより大きな利益を得るために新しい機械を導入し、大規模な工場をつくりました。その競争が結果的に社会全体の生産力を高め、生活水準の向上につながっていったのです。

しかし一方で、利潤を追い求めるあまり、労働者の低賃金や長時間労働、公害の発生などの弊害も生まれました。こうした問題が「資本主義の限界」とされ、政府による規制や社会保障の導入が必要になっていったのです。

このように、利潤追求の自由は資本主義の活力の源泉であると同時に、時に社会的なひずみも生み出す両刃の剣です。だからこそ「利潤を認めつつ、社会全体にとって有害にならないようにどう調整するか」が現代の課題になっているのです。

資本主義の大きな柱その4: 労働の商品化

資本主義の特徴のひとつに、労働力の商品化があります。これはマルクス経済学の用語で、「労働そのもの」ではなく「労働する能力(労働力)」が市場で商品として扱われることを意味します。言葉としては少し堅苦しく、政治的な響きが強いかもしれませんが、内容自体は資本主義を理解するうえで非常に妥当なものです。

資本主義社会では、多くの人は土地や工場、機械といった生産手段を持っていません。そのため、自分が持っている唯一の商品である「労働力」を企業に売り、その対価として賃金を得ます。たとえば私たちがアルバイトをする場合、自分の時間や技能を一定の時給で提供しているのも「労働力を商品として売っている」ことになるのです。

この仕組みがなぜ資本主義の前提になるのでしょうか。資本主義では、生産手段を持つ資本家と、労働力しか持たない労働者という二つの立場に人々が分かれます。資本家は利潤を得るために労働者を雇い、労働者は生活のために労働力を売るという関係が成り立つことで、経済全体が動いていきます。もし労働力を商品として扱わないなら、資本家は人を雇う理由を失い、資本主義という仕組みそのものが成立しません。

ただし、労働力の商品化は格差や搾取の問題も生み出しました。労働者は生活のために働かざるを得ない立場にあり、しばしば低賃金・長時間労働を強いられました。こうした状況に対しては、労働組合の活動や労働法制、社会保障の整備などによって改善が進められてきました。

つまり、労働力の商品化は資本主義を動かす基本的な仕組みでありながら、その影響をどう是正するかが常に問われてきたテーマなのです。

資本主義と機会の平等について

このように資本主義は活気を生み出し、社会全体を豊かにしてきましたが、その一方でどうしても「結果の不平等」は避けられません。そこで資本主義社会では、完全な結果の平等を実現することはできなくても、「せめて挑戦できる条件はそろえよう」という考えから機会の平等が重視されてきました。

機会の平等にはいくつかの側面があります。教育を受ける機会を保障することや、奨学金制度の整備は代表的な例です。また、経済活動に関して言えば、誰もが自由に市場に参入できる条件を整えることも機会の平等に含まれます。大企業の独占を防いだり、中小企業や新規事業を支援したりする制度は、まさに「市場に挑戦する権利を守る」ための仕組みです。

一方で、すでに生じた格差を調整するために結果の不平等を緩和する政策も必要です。累進課税制度や社会保障制度はその代表例で、競争によって広がりすぎた差を少しでも縮めようとする役割を果たしています。

つまり資本主義は、自由競争による活力を維持しながら、教育や制度を通じて「挑戦のスタートライン」を整え、さらに税や社会保障で「結果の格差」を調整するという二重の努力の上に成り立っているのです。

資本主義の発展と変容

原始から封建社会へ

人類の最初の経済活動は「獲って食べる」ことでした。狩猟や採集が中心の生活から、農耕や牧畜を始めると、初めて人は自分たちで「生産」するようになりました。では、そこから社会の仕組みはどう変わっていったのでしょうか。

古代社会では奴隷が重要な労働力となり、中世ヨーロッパに入ると農奴が土地に縛られ、自由に職業を選んだり移動したりすることはできませんでした。また、商人や職人は「ギルド」という組合に属さなければ活動できず、新しく参加するのも容易ではありませんでした。つまり「自由に経済活動をする」という考え方は、まだ育っていなかったのです。

市民革命と資本主義の出発点

16世紀から18世紀にかけて、ルネサンスや宗教改革、近代科学の発展を背景に「絶対王政国家」が登場します。国は富を増やすために重商主義を進めましたが、人々はやがて「もっと自由に活動したい」と願うようになります。

その願いを実現したのが市民革命でした。イギリスのピューリタン革命や名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命などによって、私的所有権自由権が保障されるようになったのです。「自分で手に入れた利益は、自分のものにしてよい」というルールが、資本主義の出発点となりました。

ここで問いたいのは、「自分の努力の結果を自分のものにできる」というのは当たり前のようでいて、歴史的にはそうではなかった、ということです。封建社会では、得た収益は領主に納めるのが当たり前でした。市民革命は、そうした常識を大きく変えた出来事だったのです。

初期(商業)資本主義

市民革命を経て登場したのが初期(商業)資本主義です。この時代を理解するには、農村・都市・世界貿易の三つの舞台を結びつけて考える必要があります。

まず農村から見てみましょう。18世紀のイギリスでは、第2次囲い込み運動(エンクロージャー)が進みました。地主が共同地や小作農の畑を囲い込み、大規模農場として効率的に利用したのです。これによって新しい農法が導入され、農業の生産力は飛躍的に高まりました。しかしその一方で、多くの農民が土地を失い、都市へと流れ込むことになります。こうして生まれた余剰人口が、やがて新しい生産の担い手になっていきました。

都市に集まった人々を受け入れたのが、マニュファクチュア(工場制手工業)です。従来の家内工業では、農民や職人が自宅で細々と仕事をしていましたが、マニュファクチュアでは労働者が一つの作業場に集められ、商人の資本のもとで分業しながら手作業を進めました。まだ機械化はされていませんでしたが、「協業による効率的な生産」という仕組みが芽生えたのです。

では、マニュファクチュアの背後にあった資本はどこから来たのでしょうか。答えは商人の交易活動にあります。イギリスやオランダは東インド会社を設立し、アジア貿易を進めました。また大西洋を舞台とする三角貿易では、ヨーロッパの織物や火器をアフリカに送り、奴隷をアメリカへ、アメリカからは砂糖や綿花をヨーロッパに運ぶという国際的な流れができあがりました。こうした取引から得られた莫大な利益が、国内のマニュファクチュアや農業改良に投資されていったのです。

このように、エンクロージャーによる農業改革が労働力を供給し、マニュファクチュアがその労働力を吸収して生産を拡大し、商人の交易が資本を蓄積して循環させる――この三つの流れが結びついて、「初期(商業)資本主義」が成り立ちました。

産業革命と古典的(産業)資本主義

18世紀後半、イギリスで蒸気機関が発明・改良されると、人々の生産の仕組みは大きく変わりました。これまで手作業や人力に頼っていた生産が、工場での機械による大量生産へと切り替わったのです。これが産業革命です。

この変化によって、産業の中心は農業から工業へ移りました。社会の担い手も、地主や農民が主役だった時代から、工場や機械を所有して生産を進める資本家と、自らの労働力を提供して賃金を得る労働者が目立つようになりました。教科書ではこの二つを「資本家」と「労働者」と呼びますが、当時の社会が完全に二分されていたわけではありません。自営業者や職人、小規模な商人も数多く存在し、社会はもっと多様でした。ただ、産業革命をきっかけに「生産手段を持つ人」と「労働を提供する人」という構図がより鮮明になったことは確かです。

では、ここで考えてみましょう。なぜ工場労働者の賃金はなかなか上がらなかったのでしょうか。理由の一つは、機械化によって熟練の差が意味を失ったことにあります。手工業の時代なら、技術のある職人は質の高い製品をつくり、より高い報酬を得られました。しかし機械生産では、熟練者でも初心者でも生産される製品の質や量に大きな違いはありません。つまり「誰がやっても同じ成果」になるため、労働者の努力が賃金に反映されにくかったのです。

この仕組みは多くの労働者の不満を生み、やがて労働条件の改善を求める声へとつながっていきました。19世紀には労働組合の形成や労働運動が広がり、資本主義社会のなかで「いかに働く人々の生活を守るか」が大きな課題となっていきます。

こうして成立した古典的(産業)資本主義は、自由競争のもとで資本家が利益を追求し、労働者が賃金労働によって生活を営むという仕組みを確立しました。この仕組みは経済を大きく発展させる一方で、格差や社会問題を同時に抱えることになったのです。

独占資本主義と帝国主義

19世紀後半になると、資本主義はさらに新しい局面に入ります。産業革命によって発展した工業は、やがて重工業や化学工業へと広がり、大規模な資本投下が必要になりました。その結果、企業はますます巨大化し、少数の企業が市場を支配する独占や寡占が進んでいきます。鉄鋼業や石油産業、銀行業などでは、わずかな大企業が経済を左右するようになりました。

このとき働いたのが「スケールメリット(規模の利益)」です。工場を大きくしたり輸送網を整備したりすればするほど、少ないコストで大量に生産できるため、大企業が圧倒的に有利になりました。逆に中小企業は競争から脱落しやすくなり、自由競争の原理が次第に弱まっていったのです。

しかし、その裏側で新しい問題も生まれました。大企業同士が価格を下げすぎて共倒れにならないように、カルテル(協定)やトラスト(企業合同)を結ぶことが増え、価格競争が行われにくくなったのです。そのため市場メカニズムは十分に機能せず、景気の波はむしろ大きくなっていきました。19世紀末には恐慌や過剰生産が繰り返され、社会不安を生むことになります。

さらに資本主義の拡大は国内にとどまりません。産業が成長すればするほど、安価な原料供給地と、新しい販売市場が必要になります。イギリスやフランス、ドイツなどの列強諸国は、アジアやアフリカに植民地を求め、帝国主義の時代へと突入していきました。19世紀末の「アフリカ分割」や、列強のアジア進出はその典型です。

ここでイメージしやすいのが「モノポリー」というボードゲームです。最初は自由競争で始まっても、勝ち続けるプレイヤーが土地や資産を独占すれば、他のプレイヤーは次第に立ち行かなくなります。現実の経済でも同じように、一部の大企業が市場を支配し、他の企業や人々が不利な立場に追い込まれていったのです。

やがてこうした大企業は、国家の政策や軍事と結びつくようになります。兵器産業や鉄鋼業などは軍備拡張と不可分であり、政府と資本が一体となって経済を動かす体制が生まれました。これを国家独占資本主義と呼びます。財閥や大企業が軍部と強く結びつき、帝国主義的な海外進出を推し進める要因となりました。

こうして資本主義の拡大は、19世紀末から20世紀前半にかけて帝国主義の競争を激化させ、やがて第一次世界大戦へとつながっていきます。

修正資本主義、そして現在へ…

しかし、この巨大化した資本主義は大きな脆さも抱えていました。第一次世界大戦後に繁栄を築いていたアメリカ合衆国において、1929年に起こった世界恐慌では、株価の大暴落から企業の倒産や失業者の急増が広がり、自由放任の市場に任せておくだけでは経済を立て直せないことが明らかになりました。

この経験を通じて、人々は「資本主義を維持するには、政府が積極的に役割を果たす必要がある」と考えるようになります。こうして生まれたのが修正資本主義です。

修正資本主義では、市場の仕組みそのものは生かしつつも、景気の波を和らげるために政府が調整を行います。景気が悪ければ公共事業を増やして雇用を生み出し、好景気で物価が上がりすぎれば金融政策などで抑える。つまり、自由競争の活力と政府の安定化策を両立させようとする仕組みなのです。

このとき登場したのが、経済学者ケインズの「有効需要管理政策」であり、以後の資本主義は「小さな政府」か「大きな政府」かをめぐる議論を繰り返しながら発展していきました。

こうして登場した修正資本主義は、20世紀前半から中盤にかけて資本主義の新しい形として広がっていきました。市場の利点を生かしつつも、政府が積極的に介入して景気を安定させようとする仕組みは、第二次世界大戦後の高度経済成長を支える柱となりました。

しかし、修正資本主義も万能ではありませんでした。1970年代には、オイルショック(石油危機)によってエネルギー価格が急騰し、景気の停滞と物価の上昇が同時に進む「スタグフレーション」という現象が起きました。これは、政府の財政出動や金融政策だけでは解決できない新しい難題であり、修正資本主義の限界を示す出来事となりました。

さらに2008年のリーマンショックでは、金融市場の混乱が世界経済を揺るがしました。各国政府は再び大規模な公的資金投入で危機を乗り切ろうとしましたが、「市場の自由」と「政府の介入」のどちらを重視するべきかという議論が改めて深まりました。

このように、資本主義は「自由競争に任せれば活力が生まれるが、不平等や不安定さも増す」「政府が介入すれば安定はするが、財政赤字や効率の低下を招く」といったジレンマを抱えながら発展してきました。

現代資本主義は、この二つの間でバランスをとろうとする試みの上に成り立っています。グローバル化やIT革命、環境問題など新しい課題に直面するなかで、21世紀の資本主義がどのように変わっていくのか――それを考えることは、歴史を学ぶ私たちにとって大きなテーマなのです。

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社会主義 ― 計画で平等をめざす経済

社会主義の特色

「社会主義」(socialism)は、資本主義の格差や不況に対するアンチテーゼ(対抗的な考え方)として登場しました。資本主義が「自由競争の結果として不平等が生まれる」仕組みだとすれば、社会主義は「結果の平等を計画的にめざそう」とする発想です。目標は利潤の追求ではなく、社会的な利益や正義の実現に置かれていました。

ここで社会主義の特色を見ていきましょう。

生産手段の公有(社会的所有)

社会主義の最大の特徴は、土地や工場、機械などの生産手段を国や社会全体で所有することです。私的所有を廃止し、生産の成果をみんなで分配する仕組みをめざしました。資本主義が「資本家が生産手段を所有し、労働者は労働力を売る」という構図を前提としていたのに対し、社会主義はその仕組みそのものを変えようとしたのです。

計画経済

もう一つの柱が計画経済です。これは政府が経済の目標を定め、生産や供給を計画的に進める制度です。たとえば「国民1人が年間シャンプーを3本使う」と見積もれば、全国民が1億人だとすると、国民の分の3億本だけを生産する――そんなイメージです。無駄は少なくなりますが、その一方で「もっと違う種類のシャンプーを試したい」という欲求には応えられません。競争がなくなるために、商品の品質が向上しにくいという問題もありました。

結果の平等

資本主義が「機会の平等」、つまり「スタートラインの平等」を重視するのに対し、社会主義は「ゴールの平等」を計画的に達成しようとしました。理想としては魅力的に聞こえますが、現実には人々の努力や工夫が報われにくくなり、経済全体の活力が低下するという課題を抱えていました。

小括

社会主義は資本主義の矛盾を乗り越えようとした思想であり、その徹底した形が共産主義でした。一見すると理想的な社会を描いているように見えますが、効率や自由を制約する側面もあったのです。

次の記事では、この社会主義がどのように歴史の中で実現され、ロシア革命を経てソビエト連邦の成立へとつながっていったのかを見ていくことにしましょう。

社会主義の変容

社会主義はなぜ生まれたのか

社会主義思想の源流をたどると、16世紀のイギリスの思想家トマス=モアに行き着きます。彼は著書『ユートピア』で「貧富の差をなくし、人間の欲望を抑えるためには、私有財産を廃止すべきだ」と説きました。このように理想的な社会像を描いた思想は「空想的社会主義」と呼ばれます。

19世紀のヨーロッパでは、産業革命によって資本主義が大きく発展しました。。

こうした不平等や社会問題に対して、「自由競争のままでは格差は解決できないのではないか」という疑問が高まります。そこで登場したのが社会主義の思想でした。

18世紀後半から19世紀の産業革命期になると、資本家階級(ブルジョワジー)が豊かになる一方で、労働者階級(プロレタリアート)の生活は厳しくなりました。工場には多くの労働者が集められ、生産は飛躍的に増大しましたが、その裏では長時間労働、低賃金、劣悪な環境――労働者の生活は苦しく、資本家との格差はどんどん広がっていったからです。

空想的社会主義の誕生

こうした現実を前に、フランスのサン=シモンやフーリエ、イギリスのロバート=オーウェンらが登場します。彼らは産業資本家の道徳心や善意に訴え、協同組合や理想的な共同体を構想しました。しかし、これらは科学的な分析に基づいたものではなく、現実の社会を大きく変えるには限界がありました。

科学的社会主義 ― マルクスとエンゲルス

こうした空想的社会主義を乗り越え、社会の仕組みを科学的に分析したのが、19世紀ドイツのマルクスとエンゲルスでした。彼らは『共産党宣言』(1848年)や『資本論』を通じて、資本主義を批判し、新しい社会のあり方を理論化しました。

マルクスは「労働」が人間の本質的活動であると考えました。しかし資本主義の下では労働が商品化され、労働者は疎外されていると批判します。マルクスは、歴史を動かす大きな要因は「生産力」と「生産関係」にあると考えました。「生産力」とは、ものを作り出す力のことです。具体的には、人間の労働力や技術、そして道具や機械といったものを指します。例えば、産業革命によって蒸気機関が登場したとき、人類の生産力は大きく高まりました。「生産関係」とは、生産を行うときに人々がどんな関係で結びついているか、ということです。土地や工場といった「生産手段」を誰が所有し、誰がそれを使って働くのかという関係です。封建社会では領主と農民、資本主義では資本家と労働者という関係が典型的な例です。

マルクスによれば、歴史とはこの「生産力」と「生産関係」の組み合わせ=生産様式が変化していく過程だといいます。新しい技術や道具によって生産力が高まると、それまでの生産関係では対応できなくなり、矛盾が生じます。資本主義社会では、資本家が生産手段を所有し、労働者は自分の労働力を売って生きています。しかし生産力が発展すればするほど、その矛盾は拡大し、やがて「階級闘争」と呼ばれる衝突を引き起こす――これがマルクスの歴史観です。資本家と労働者の矛盾が深まれば、やがて社会主義革命が起こり、新しい生産関係が生まれると予測したのです。

このように社会を科学的・合理的に分析した社会主義を「科学的社会主義」と呼びます。これがのちに多くの社会主義運動の理論的支柱となりました。

社会主義は20世紀に入ると、思想にとどまらず実際の国家体制として世界に広がっていきました。しかしその過程で、当初の理想と現実との間に大きなギャップが生まれ、さまざまな変化を遂げていきます。

社会民主主義という流れ

ただし、社会主義の思想がすべて「革命」を目指したわけではありません。19世紀後半以降、とくにヨーロッパでは「議会制民主主義を通じて、徐々に社会を改革していこう」という立場が生まれます。これが社会民主主義です。

ドイツのベルンシュタインは「資本主義は発展するにつれて労働者の生活水準も改善される。だから革命ではなく、議会を通じて社会保障制度を充実させるべきだ」と主張しました。イギリスのウェッブ夫妻やバーナード=ショウらも、同じように漸進的な改革を唱え、のちのイギリスの労働党の形成につながっていきます。

社会民主主義は、資本主義を完全に廃止するのではなく、その矛盾を修正して「人間らしい暮らし」を保障することを目的としました。現代の北欧諸国に見られる高福祉社会は、その延長線上にあるといえるでしょう。

マルクス主義の実践

1917年のロシア革命は、世界史の大きな転換点となりました。長年にわたり皇帝(ツァーリ)の専制政治が続いたロシアでは、クリミア戦争や日露戦争での敗北、そして第一次世界大戦による疲弊によって不満が爆発していました。こうした中で、レーニンとトロツキーの指導のもと、労働者や農民、兵士が中心となって革命を成功させ、1922年にソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が誕生します。

ソ連では「生産手段の社会的所有」と「計画経済」が徹底されました。スターリンの時代には「五か年計画」と呼ばれる大規模な計画経済が実施され、急速な重工業化と軍需産業の発展が進みました。しかしその一方で、農業の集団化が強制され、多くの農民が犠牲となり、個人の自由や人権は大きく制限されました。社会主義は「平等」を掲げながらも、実際には強権的な体制の下で国民に重い負担を課すものとなったのです。

第二次世界大戦後、ソ連は東ヨーロッパに影響を広げ、ポーランドやハンガリーなどに社会主義政権を誕生させました。また、アジアでは1949年、中国で毛沢東率いる中国共産党が勝利し、中華人民共和国が成立します。中国もマルクス・レーニン主義に基づいて「新民主主義革命」を掲げ、農民を中心とする社会主義国家をつくり上げました。

こうして、ソ連と中国を中心に「社会主義陣営」が形成されます。さらに、朝鮮半島北部(北朝鮮)、キューバ、ベトナムなどでも社会主義国家が誕生し、20世紀後半の世界は「資本主義陣営(アメリカ・西欧)」と「社会主義陣営(ソ連・中国)」に二分され、冷戦構造が長く続くことになりました。

中国では毛沢東が指導し、1958年に「大躍進運動」を開始しました。人民公社という大規模な農業組織をつくり、生産を一気に伸ばそうとしましたが、かえって農村が混乱し、大飢饉を招いてしまいます。さらに1966年には「文化大革命」が始まり、社会が大きく混乱しました。

1978年に鄧小平が打ち出した「改革・開放政策」により、中国は社会主義の枠組みを維持しつつ、市場経済の仕組みを取り入れました。これを社会主義市場経済と呼びます。経済特区を設け、外国資本を受け入れるなど大胆な政策を進め、やがて経済成長を遂げていきます。同じころ、ベトナムも「ドイモイ(刷新)政策」を始め、社会主義と市場経済を組み合わせる方向に転換しました。

一方のソ連では、1985年にゴルバチョフが「ペレストロイカ(改革)」「グラスノスチ(情報公開)」を進めました。しかし、社会主義経済にはもともと次のような問題がありました。第一に、国家が経済全体を計画するための情報処理能力や基盤が欠けていたこと。第二に、適正な価格を計算する仕組みが不十分で、効率的な資源配分ができなかったこと。第三に、企業や個人に生産性向上や技術革新への動機を与えられなかったことです。ノルマ主義の下では、努力しても報われない仕組みとなり、経済の活力が次第に失われていきました。

こうした構造的な問題が積み重なり、1989年にはベルリンの壁が崩壊し、冷戦は終結。1991年にはソ連そのものが解体し、社会主義の大きな流れは歴史的な転換点を迎えました。

しかし、社会主義は完全に消えたわけではありません。中国やベトナムは市場経済を導入しながらも「社会主義国家」を名乗り続けています。キューバや北朝鮮のように、伝統的な社会主義体制を維持している国もあります。

つまり現代における社会主義は、かつてのように「結果の平等」を全面的にめざすものではなく、市場経済との組み合わせによって現実に対応する方向へと変容してきたのです。

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