日本の建国記念の日とは?由来や祝い方をわかりやすく解説しました

建国記念の日をわかりやすく解説してみました 日本の「国民の祝日」について考えるシリーズ
日本の国民の祝日シリーズ「建国記念の日」をわかりやすく解説してみました
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執筆: 加代 昌広かしろ まさひろ (KÁSHIRO Masahiro)

皆さん、2月11日は何の日かご存知ですか?

この日は「建国記念の日」として、日本の建国を祝う日です。今回は、この「建国記念の日」について、その歴史的背景や意味を詳しく見ていきましょう。

なお、この記事は船橋市内の小学校で校長を務めていらっしゃり、「日本が好きになる!歴史授業」の名プロデューサーの渡邉尚久先生のお話を参考に作成いたしました。

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建国記念の日の由来

「建国記念の日」は、日本の初代天皇である神武天皇が即位したとされる紀元前西暦660年1月1日を現在の暦に換算し、2月11日としたことに由来します。

『日本書紀』によれば、神武天皇は橿原かしはらの地で即位し、「日本を家族のような国にしよう」という「即位建都の詔」渙発かんぱつされました。

この日が日本の肇国の日とされ、のちに「建国記念の日」として祝われるようになりました。

2月11日、これはただの休日ではなく、日本にとって特別な日であり、国民の祝日として法律で定められている日です。この日は「建国記念の日」であり、「建国をしのび、国を愛する心を養う」日です(「国民の祝日に関する法律」より)。

「建国記念の日」は、日本がどのようにして成立したのか、どのように始まったのかを思い起こす日です。しかし、多くの人々が、日本がいつ、どのように肇国ちょうこくされたのか?また日本国がどのような理念のもとで肇国された国なのかを具体的に知らない人が多いのが現状だと思います。

ちなみに、ここでは意図的に「肇国」という用語を使っています。「肇国」と「建国」の言葉の意味はよく似ていますが、重大なところで意味が異なります。

詳しくは、国語WORKSの松田雄一先生の解説動画をご覧ください。大変分かりやすくまとめてくださっている動画です。

日本の「建国記念の日」について

日本の肇国 – 世界で一番古い国

日本の歴史を遡ると、神話の時代に行き着きます。それほどまでに古く、悠久の時を超えて続いてきた国が日本です。現在、世界には約200の国がありますが、その中で最も長い歴史を誇るのが日本。令和7年、西暦で言えば2025年の年に、私たちの国は計算では2685年続いている国です。そして、驚くべきことに、同じ王朝が一度も途切れることなく続いている国は、世界で唯一、日本だけなのです。この事実は、日本という国が理想を掲げ、それを継承し続けてきたからこそ成し遂げられたものではないでしょうか。

では、日本という国の始まりには、どのような理想があったのでしょうか。初代天皇である神武天皇がどのような国づくりを志したのかを、彼の言葉とともに振り返ってみましょう。

神武天皇は「即位建都の詔」で以下のような内容を仰ったとされます。

「辛酉の年の3月1日に、私は東征を行ってから橿原かしはらの地に着くまでに6年経過しました。私は神々のお力を借りながら抵抗する勢力を倒してきました。しかしながら、私の力は国の端っこまで及んでおらず、まだ戦乱状態が続いていて、まだ残っている敵たちはなお手強いのですが、私の治める国(橿原を中心とする近畿地方のこと)は平穏に治まっています。そこで、国の中心となる皇居を作ってまいります。しかるにいま、私は日本の国を始めるにあたっての苦しみに直面しています。国民はまだ文明化していません。国民は動物であるかのように巣や穴に住んでいて、生活風習は神々の時代から進歩していないのです。そこで、御神勅に掲げられた理想を受け継いだ者が国のリーダーとなるべきなのです。時間がかかったとしてもこの理想は多くの人々に理解してもらえるはずです。国民にとって利益になることであれば、どうして私が行う政治に妨げが起こるのでしょうか。そこで、山林を切り拓いて皇居を造り、謹んで皇位にいて、国民が平穏無事に生活できように邁進してまいります。上はあまかみからお授けくださった理想に応えて実現させる国づくりをし、下は邇邇芸命ににぎのみことが目指した御心を広めようと思います。その後、国を1つにまとめて都を新しく作り、我が国をみんながともに平和に暮らせる家族が集う家のようにしていきます。これはとても素晴らしいことではありませんか。見渡せば、畝傍山うねびやまの東南の橿原かしはらの地が国の中でもステキな場所なので、ここを国を治める場所に定めましょう。」

拙稿「日本肇国の精神って言えますか? – 神武天皇の「即位建都の詔」を読む」 (日本まほろば社会科研究室)

この詔勅には、単なる統治ではなく、理想を掲げ、人々とともに国をつくるという精神が貫かれています。特に、「みんなが共に平和に暮らせる家族が集う家のような国にする」という言葉には、日本という国が目指すべき姿が端的に表されています。

史料にある「辛酉の年」というのを西暦に換算すると紀元前660年になるのだそうです。神武天皇が即位したとされるのは紀元前660年。あまりにも古く、世界の歴史においても類を見ない年月です。しかし、これほど長く続いてきたのは、単なる偶然ではありません。それは、「ともに生きる国づくり」という理念が、一時の繁栄や強さではなく、時代を超えて受け継がれてきたからこそ成し遂げられたものなのです。

この精神は現代においても、日本の社会の根底に息づいています。助け合いの精神、和を尊ぶ心——これらは、神武天皇が思い描いた国の姿が、時を超えて現代にまで生き続けている証拠といえるでしょう。

日本という国がこれほど長く続いた理由。それは、「国とは、誰かが支配するものではなく、共に生きる家のようなものである」という神武天皇の理想が、今なお日本の社会に根付いているからにほかなりません。その精神は、ご詔勅の中にある三大神勅にも言及されています。これは、天照大御神が天孫・邇邇芸命ににぎのみことに授けた、日本の統治の根幹をなす教えであり、神武天皇もこれを受け継いだのではないかと考えられています。

第1に、天壌無窮てんじょうむきゅうのご神勅では、日本は天照大御神の子孫である天皇が統治することで繁栄し、その皇位は天地とともに永遠に続くとされました。統治者が代わるたびに争いが起こる国々とは異なり、天皇が代々受け継がれることで国家の安定と継続が保たれるのです。第2に、宝鏡奉斎ほうきょうほうさいのご神勅は、天皇が神の意志を映し出す存在であり、私欲を離れ、公正に国を治めることを求めたものです。鏡のように己を省みながら、国民の幸福を第一に考えることこそ、統治者のあるべき姿だとされています。第3に、斎庭稲穂ゆにわいなほのご神勅は、天照大御神が稲穂を授け、民が飢えないよう守ることを命じたものです。これは、国を支えるのは民の豊かな暮らしであり、それを守ることが統治者の役割であることを示しています。

これらの神勅は、単なる統治の原則ではなく、「天皇の統治による国家の繁栄・リーダーとしての公正な姿勢・民とともに生きる国家の在り方」を示したものです。そして、神武天皇の「即位建都の詔」こそ、その精神を体現するものでした。

改めて、日本の歴史の長さ、その魅力、そして国づくりの精神を胸に刻み、未来へと受け継いでいくべきではないでしょうか。

なお、詳しい日本の肇国の歴史(神話)については以下のコンテンツで学ぶのがオススメです。

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「建国記念の日」の現在とその歴史

このように神武天皇が「即位建都の詔」を渙発されましたが、そこから歴代の天皇陛下が国づくりのバトンを受け渡していきながら我が国の歴史も繋がってきました。現在の天皇陛下は第126代にあたります。

現在のように国をあげて「国民の祝日」としてこの日を定めたのは明治時代に入ってからでした。明治新政府は明治5年(西暦1872年)にこれまでの太陰太陽暦から太陽暦を採用することを決め、翌年に明治6年(西暦1873年)に正式に太陽暦(新暦)でこの日を「紀元節」と定めました。先の大戦の前までは「紀元節」という名称でした。

しかし、戦後、アメリカが天皇陛下と国民のつながりを恐れ、祝祭日を廃止しました。それにもかかわらず、日本人の8割以上がこの紀元節を復活させたいと考え、その結果、「紀元節」から「建国記念の日」に名称が変更され、昭和41年(西暦1966年)に国民の祝日として認められ、翌年の昭和42年から現在に至るまで続いています。

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外国の建国と比較してみよう!

それでは、ここで他国の建国と比較してみましょう。アメリカ合衆国は西暦1776年に建国され、フランスは西暦1789年、カナダで西暦1867年、中華人民共和国は西暦1949年、ロシアは西暦1991年にそれぞれ建国されています。これらの国々と比較すると、日本は先ほども述べたように紀元前660年です。

他の国々では、建国を記念する日を盛大に祝います。例えばアメリカでは、毎年7月4日に独立記念日を祝い、花火が打ち上げられます。カナダでもイギリスから自治権を獲得した7月1日を「カナダ・デー」として、家族や友人と一緒にお祝いをします。

しかし、日本では、政府主催のお祝いはなく、国民もただの休日としか思っていない人がほとんどです。非常に嘆かわしい状況なのです

望ましい「建国記念の日」の過ごし方は?

自分の国のことをしっかりと知ることは、自分の祖先との繋がりを自覚する意味でもとても大切なことだと思います。したがって、建国記念の日、平たく言えば「日本のお誕生日」は自分の誕生日と同じように祝いたいものですね。

あとは「日本のお誕生日をどのように過ごしたらいいのか?」を考えてみたいと思います。

神武天皇のゆかりの地である橿原の地にある橿原神宮への参拝ができればもちろんよいのですが、近くの神社にお参りをするのもよいでしょうし、特別な行事に参加しなくても、日本の歴史についての本を読んだり、親子で日本の歴史に関する博物館に出かけたりすることもお祝いの1つです。家に国旗を掲揚するのも1つだと思います。

また、日本はお米の国であることから、特製おむすびを配布してお祝いしている神社もあります。

あるいは、そんなにマジメにやらなくても、日本を祝して飲み会や家族でパーティーをやるのもよいでしょう。ケーキにロウソクを立ててお祝いするのもよいでしょう。

大東亜戦争以前、日本の学校では、登校後に講堂へ集まり、当時の学校には存在した奉安殿ほうあんでんに収められている天皇皇后両陛下の御真影ごしんえいを取り出し、教育勅語を唱えた後、紅白の饅頭をいただいて帰宅する習慣があったそうです。

建国記念の日は、日本に生まれ、日本の国民であることを誇りに思う日です。それぞれの人が自分なりのお祝いの仕方でこの日を過ごすことで、これまで日本を繋いできた先祖への感謝と、これからの日本への期待が繋がっていくのではないでしょうか。

これからの日本がこの先も日本であり続けられるかどうかは、私たち一人ひとりにかかっています。

参考: 命のバトン 国づくりのバトン

 

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