【高校政治経済】金融の自由化と国際化──日本版金融ビッグバンと護送船団方式の転換をわかりやすく解説

日本版金融ビッグバンとは? 現代経済の仕組み
日本版金融ビッグバンとは?
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日本の金融制度は、1980年代以降の「金融の自由化」と「国際化」という大きな流れによって姿を変えてきました。

いま私たちが当たり前のように使っているネット銀行、外貨両替、金融商品の自由な売買は、すべてこうした改革の結果として生まれたものです。

では、なぜ日本は戦後長く続いた「護送船団方式」を手放し、金融ビッグバンと呼ばれる大規模な自由化へ踏み切ったのでしょうか。背景には、国際市場の競争が激しくなる中で、日本の金融システムを世界基準へ引き上げる必要性がありました。特に、英国ロンドン市場の改革「証券ビッグバン」の成功は、各国に自由化の波を広げ、日本もまた制度の見直しを迫られることになります。

本稿では、この「金融の自由化・国際化」の内容と狙い、そして日本版金融ビッグバンの意味を、歴史的な流れと具体例を交えながらわかりやすく解説します。

金融の自由化がどのようにして現在の金融サービスを形づくり、なぜ国際競争力と深く結びついているのか――その全体像をつかむことが、本稿の目的です。

金融の自由化と国際化──「護送船団」から世界市場へ

現代の金融制度を理解するうえで、まず押さえたいのは1980年代以降の「金融の自由化・国際化」 という大きな流れです。

これは、銀行・証券・保険といった金融業界を守りながら運営してきた戦後型の規制を取り除き、国際基準に合わせて市場競争を促す改革でした。

金融の自由化とは何か

金融の自由化とは、金利の自由化・業務範囲の自由化・資本取引の自由化を進め、金融機関が自由に金融商品やサービスを提供できるようにする政策のことです。

先の大戦後の日本は「護送船団方式」と呼ばれ、大蔵省が銀行を保護しながら歩調をそろえて運営してきました。弱い銀行が市場競争で淘汰されないよう、金利や業務内容に厳しい規制が敷かれていたのです。

しかし1980年代になると、イギリスのサッチャー政権による「証券ビッグバン」を契機に、世界で金融の自由化が進み、日本もこの流れに合わせざるを得なくなりました。

イギリスが証券ビッグバンに踏み切った背景には、当時のロンドン市場が、固定手数料や手作業中心の取引といった「古いルール」に縛られ、アメリカや日本の金融市場との競争に遅れをとり始めていたという事情があります。ここでいう「手作業中心の取引」というのは、現在のようにコンピューターで自動処理が行われる仕組みが整っていなかったため、取引所のフロアで人が叫んで注文を伝えたり、価格を黒板に書き換えたり、注文内容を紙で回したりするようなアナログなやり方が主流だったということです。当然、取引のスピードは遅く、大量注文にも対応できず、ミスも起こりやすい。投資家はより速くて正確な市場を求めるため、このままではロンドンが世界の金融センターとしての地位を失いかねない状況でした。世界の資金はより効率的な市場へ流れるため、このままではロンドンが「世界の金融センター」の地位を失いかねない。そこでサッチャー政権は、外国企業の参入解禁、電子取引化、手数料の自由化など、大規模な規制緩和を一気に進め、ロンドンを国際競争に耐えうる市場へ作り直したのです。

このイギリスの成功が国際的な金融自由化の潮流を生み、日本も戦後以来の規制を見直し、国際競争に参加するための制度改革を迫られました。

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日本版金融ビッグバンの意味

西暦1996年(平成8年)、橋本龍太郎内閣は、「フリー」「フェア」「グローバル」を掲げ、いわゆる 日本版金融ビッグバンを実行しました。これは、日本の金融市場を国際水準に引き上げ、自由で公正、そして国際的に開かれた市場へ転換するための包括的な改革でした。

ここから1つずつ紹介していきます。

日本版金融ビッグバン1つ目:「フリー」(金利の自由化)

まずフリー(自由化)の具体化として進められたのが金利の自由化です。

その第一歩となったのが、西暦1994年(平成6年)の大口預金自由化でした。これは、西暦1996年(平成8年)の日本版金融ビッグバンに先立って行われた重要な改革で、企業などが預ける大きな金額の預金について、銀行が金利を自由に決められるようにしたものです。

かつては金利が行政によって細かく規制されていました。しかし、企業や投資家が持つ大きなお金は、国境を越えて自由に動きやすいという事情がありました。もし日本だけが金利を固定したままだと、海外の金融機関がより高い金利を提示したとき、日本の銀行から資金が大量に流出してしまい、国内の銀行に資金が集まらなくなるおそれがありました。

そこで政府は、まず大口預金の金利自由化を進め、続いて西暦1998年(平成10年)には多くの預金種類が自由化され、最終的には西暦1999年(平成11年)に普通預金の金利まで自由化されました。

日本版金融ビッグバン2つ目:「フェア」(公平な競争)

次にフェアを実現する柱として、業務範囲の自由化(垣根の撤廃) が導入されました。

それまで日本では、銀行は銀行だけ、証券会社は証券だけ、保険会社は保険だけというように、業務ごとの区分が厳しく決められていました。こうした分業体制は、金融機関同士の競争を抑える一方で、サービスの幅を狭め、国際市場との比較で不利になる面がありました。

そこで日本版金融ビッグバンでは、銀行・証券・保険の三つの分野を区切っていた規制を緩和し、子会社を設立することで互いの業務に参入できる仕組みを整えました。これが「子会社方式による相互参入」です。これは、たとえば銀行が「銀行本体とは別に」証券業務を行うための子会社を作り、そこで株式販売や投資信託の取り扱いを行うという方法です。逆に証券会社も、銀行業務に参入したい場合は銀行子会社を設立し、そこで預金やローンといったサービスを提供できるようになりました。この方式を採ったのは、金融機関が新しい業務に挑戦する際、いきなり本体がリスクを抱え込むのではなく、まず子会社で管理しながら進められるようにするためです。

この「子会社方式」は1990年代後半に自由化を進めるための入口として導入されたもので、その後の法改正によって、銀行「本体」でも投資信託の販売が可能になりました。銀行の窓口で投資信託や保険商品が買えるようになったのは、この自由化の延長線上で実現したものです。なお、現在でも証券会社は預金の元本保証を伴う業務を行うことが法律上認められていないため、証券会社が銀行業務に参入する場合は、必ず銀行子会社を設立し、その子会社が預金・ローンを扱う形になります。

こうした改革によって、すべての金融機関が同じ土俵で公正に競争しつつ、サービスの幅を大きく広げられるようになりました。

日本版金融ビッグバン3つ目:「グローバル」(国際化)

最後に、グローバル(国際化)」を象徴する改革が、外国為替取引国際資本取引の自由化です。

現在では一般企業が外貨を売買したり、コンビニで外貨両替ができたりする光景は珍しくありません。しかし、この変化がどれほど大きな改革であったかは、以前の日本の姿を振り返るとよくわかります。かつては、外貨の売買や海外との資金取引は、銀行など限られた金融機関だけに許された業務でした。一般企業が自由にドルを買ったり、海外の企業に直接送金したりすることはできず、外貨両替でさえ銀行の専門窓口に行く必要がありました。つまり、日本の金融市場は国境を越える資金の流れから切り離された、閉じた仕組みに近かったのです。

規制緩和後はこの構造が大きく変わり、一般企業の外貨取引が可能になり、外貨両替機を置くコンビニが登場するなど、国際金融市場との接続が一気に進みました。

日本版金融ビッグバンが掲げた「グローバル」という理念は、この国際化の流れを金融制度の根本から実現させるものでした。

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国際競争力強化という制度趣旨

これら三つの改革(フリー・フェア・グローバル)の根底には共通する制度趣旨がありました。それは、日本の金融機関を国際的に戦える存在へと再編し、世界市場で資金を呼び込める金融システムをつくるという目的です。

戦後日本の金融行政は、国内の金融機関を守る「護送船団方式」を基盤としてきましたが、日本版ビッグバン以降は、自由化と競争原理を通じて、金融機関が自ら強くなる仕組みへと転換しました。メガバンクへの再編が進んだのも、この国際競争力強化という文脈の中で理解することができます。

具体例:新規参入の拡大 – 例えばセブン銀行・楽天銀行・イオン銀行・ソニー銀行 など

自由化の大きな成果として、異業種からの新規参入が本格化したことが挙げられます。

今日では当たり前のように使われているセブン銀行・楽天銀行・イオン銀行・ソニー銀行は、実はこうした自由化が進んだ1990年代後半〜2000年代初めにかけて誕生した、いわば“自由化の子どもたち”です。

これらの企業は、それぞれが本業で築いた強みを生かしながら金融に参入しました。たとえば、コンビニ最大手のセブン-イレブンは全国の店舗ネットワークを利用してATMを急速に普及させ、ネット企業の楽天はインターネットとポイント経済圏を武器にオンライン銀行を成立させました。家電メーカーのソニーが銀行業に本格参入したのも、この自由化のおかげです。

さらに、店舗をほとんど持たないネット銀行・ネット証券もこの時期に一気に広まりました。授業で「ネット証券で株を買う」という話が出ても特別驚かないかもしれませんが、実はこれも規制緩和がなければ実現しなかった新しい金融のかたちです。

つまり、私たちが普段の生活で何気なく利用しているサービスの多くは、日本版ビッグバンによって初めて許されたものであり、自由化が「身近な金融の形」そのものを作り替えたと言えます。

金融の自由化と金融機関のリスク管理

金融の自由化は、銀行同士の競争を活発にさせるという大きな利点を持つ一方で、同時に金融機関の経営リスクを高めるという側面もありました。規制によって守られていた時代とは違い、各銀行がより高い収益を求めて積極的に投資や融資に乗り出せば、その判断が誤ったときの損失も、銀行自身が直接負うことになります。

自由競争の世界では、こうしたリスクの管理に失敗した銀行は市場から淘汰される可能性が高くなります。しかし、銀行が破綻すれば、預金者の資産が危険にさらされるだけでなく、資金の流れが止まって経済全体に悪影響を及ぼす「金融危機」につながるおそれがあります。

そこで、自由化で競争を広げるのと同時に、銀行が一定の安全性を保って経営できるよう、国際的に通用する共通ルールを整える必要が生まれました。それがBIS規制(自己資本比率規制)であり、世界のどの市場でも「この基準を満たしていれば安全だ」と認められる指標を作ることで、自由化と安定の両立を目指したのです。

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