みなさんは「私法」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
少し堅苦しい響きがありますが、実は私たちの日常生活と深く関わっているルールです。民法や商法といった法律は、国家や政府といった「公(おおやけ)」との関係を扱うものではなく、「個人」と「個人」の間での権利や義務を定めるものです。だからこそ「私法」と呼ばれています。
この私法の根本には、三つの大切な原則があります。これを「私法の三大原則」と呼びます。それは、
- 契約自由の原則(私的自治の原則)
- 所有権絶対の原則
- 過失責任の原則
です。
これら三つの原則は、「資本主義経済=市場経済」の基本的な仕組みを支えるものであり、私たちが自由にモノを買ったり契約を結んだりする社会の土台になっています。
三大原則その1:契約自由の原則(私的自治の原則)
最初の原則は「契約自由の原則」です。これは、誰とどんな契約を結ぶかを自分の意思で自由に決められるという考え方です。コンビニでおにぎりを買うかどうかを選ぶときも、友達と中古のマンガを売り買いするときも、塾に通うかどうかを決めるときも、いずれも当事者の自由な合意によって契約が成立します。契約は強制ではなく、当事者の合意を前提にしているのです。
この原則が大切にされるのは、近代社会が「個人の自由」を重んじてきたからです。昔の社会では、身分や領主のルールに縛られて自由に取引することはできませんでした。しかし、近代国家が生まれて資本主義が発展する中で、「誰とでも自由に契約できる仕組み」がなければ商売や労働は成り立たず、経済も発展しません。だからこそ、契約自由の原則は市場経済の基盤を支えるルールとして保障されているのです。
さらに、契約自由の原則が経済にとって良いのは、人々が自由に取引できることで新しい活動や商売が生まれ、社会全体が活性化するからです。たとえば、誰かが「おにぎり屋さんを始めたい」と思ったとき、自由に店を借りる契約を結び、仕入れ先と契約をし、お客さんと売買契約を結べるからこそ商売が成り立ちます。もしこれがすべて国の許可制だったら、思いついたアイデアをすぐに形にすることはできません。また、人々が自由に契約を結べる社会では自然と競争が生まれ、値段が調整され、より良い商品やサービスが提供されるようになります。つまり、契約の自由は「新しい挑戦を後押しする力」と「市場を健全に保つ力」の両方を持っているのです。
しかし「契約自由」とはいっても、すべてが許されるわけではありません。社会全体にとってあまりに不公平な契約は無効とされます。たとえば、借金を返せなかったら「一生ただ働き」という契約や、法律に違反する麻薬の売買契約などは、契約自由の名のもとに認められることはありません。自由を強調しすぎると弱い立場の人が不利な契約を結ばされる危険があるため、現代では労働法や消費者契約法などによって自由と保護のバランスが取られているのです。
三大原則その2:所有権絶対の原則
二つ目は「所有権絶対の原則」です。これは、自分の財産を持ち、それを自由に使ったり処分したりできることを保障する考え方です。資本主義社会では「私有財産」が認められており、この権利はとても大切にされています。たとえば、自分のお小遣いで買ったゲーム機は自分の所有物なので、遊ぶのも売るのも友達に貸すのも自由です。また、お年玉で買った自転車も、所有者である自分が自由に利用できます。このように「自分のものは自分のもの」という感覚が、法律の世界でもしっかりと認められているのです。
この原則が大切にされる背景には、近代社会の成立があります。中世の時代には土地や財産の多くが領主や国王のものとされ、庶民は自由に利用することができませんでした。しかし、近代に入り「個人が財産を持つ権利」が認められるようになると、人々は安心して働き、蓄え、次の世代へと受け継ぐことができるようになりました。つまり所有権の保障は、人々に「頑張って働けば自分の財産になる」という安心感を与え、社会や経済の発展を後押しする仕組みでもあるのです。
また、所有権が守られることで経済も活性化します。誰かが新しいお店を開こうと思ったとき、土地や建物を自分のものとして利用できるからこそ投資や挑戦が可能になります。もし自分の財産がすぐに奪われてしまう社会なら、人は努力しても報われず、新しい挑戦をする気力を失ってしまうでしょう。所有権絶対の原則は、自由な経済活動の土台をつくるルールでもあるのです。
とはいえ、所有権が「絶対」といっても、制限がまったくないわけではありません。自分の家だからといって庭でゴミを燃やして近所に迷惑をかけたり、危険物を保管して周囲に危害を及ぼしたりすることは許されません。所有権の濫用とされ、法律によって制限がかかります。つまり、所有権は強く守られる一方で、社会全体の安全や秩序を守るためには一定の歯止めが設けられているのです。
三大原則その3:過失責任の原則
三つ目は「過失責任の原則」です。これは、人に損害を与えてしまったとき、その原因が自分の過失(=不注意)や故意にある場合に限って責任を負うという考え方です。逆に言えば、悪いことをしていないのに責任を負わされることはない、というルールです。
日常生活に置きかえるとわかりやすいでしょう。友達のスマホをわざと壊してしまったなら、もちろん弁償しなければなりません。不注意でぶつかって壊した場合も、過失があるので責任を負います。しかし、もし地震で偶然スマホが壊れてしまったとしたら、それは誰の過失でもないので弁償の責任は生じません。責任を問われるのは、あくまで「わざと」または「不注意」の場合に限られるのです。
この原則が重視されるようになったのは、近代社会で「人は自分の行為に対してのみ責任を負うべきだ」という個人主義的な考え方が広まったからです。中世や前近代の社会では、一族や村全体が誰かの責任を背負わされることもありましたが、近代国家では「責任は自分の行為に応じて負う」というルールがはっきりしました。これによって、個人の自由な活動が守られ、無関係な人が理不尽に処罰されることを避けられるようになったのです。
経済の面から見ても、この原則は重要です。もし「過失がなくても他人の損害に対して責任を負う」社会だったら、人々は常にリスクを恐れて行動できなくなります。例えば、店を開いたら誰かが偶然転んでケガをしただけで無条件に責任を負うとなれば、商売を始める人はいなくなるでしょう。過失責任の原則があるからこそ、人々は自分の責任の範囲を理解したうえで安心して活動でき、社会や経済が活発に動くのです。
もちろん、現代では自動車事故や製品の欠陥など、過失の有無にかかわらず被害者を救済する仕組みも整えられています(自賠責保険や製造物責任法など)。それでも基本の考え方は「責任は過失があるときに負う」という点にあります。つまり過失責任の原則は、自由な活動を可能にしつつ、必要に応じて例外的に救済制度を組み合わせることで社会全体のバランスをとっているのです。
まとめ
ここまで見てきたように、私法の三大原則は「契約自由の原則」「所有権絶対の原則」「過失責任の原則」の三つです。契約自由の原則は、人々が自分の意思で自由に契約を結び、経済活動を活発にできるようにするためのルールでした。所有権絶対の原則は、自分の財産を自由に使えることを保障し、人々に安心して努力や投資を行う力を与えました。そして過失責任の原則は、責任を「自分の行為」に限定することで、無関係な人が理不尽に処罰されることを防ぎ、自由な活動を可能にしました。
この三つの原則はそれぞれ独立しているように見えますが、実はすべて「自由な市場経済を支え、個人が安心して生活できる社会をつくる」という共通の役割を果たしています。つまり、私法は単なる法律の知識ではなく、私たちが日常生活の中で「自分の意思で選び、努力し、責任を持つ」ことを可能にするルールブックなのです。
高校生のみなさんも、コンビニでおにぎりを買うことから友達との約束、アルバイトやスマホの契約に至るまで、実は毎日の暮らしの中でこの三大原則に触れています。法律は遠い存在ではなく、身近な生活を支えている仕組みなのだということを、ぜひ意識してみてください。

