[歴史探訪] 明治神宮鎮座100周年とJR高山線開通100周年

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今回は、令和2年(西暦2020年)11月1日が明治神宮100周年であり、またJR東海の地方交通線の1つである高山線が開通100周年だったなぁという話を書こうと思います。

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明治神宮鎮座100年のニュース

まずは、明治神宮100年について。産経新聞の記事を取り上げます。

明治神宮は、大正9年(西暦1920年)11月1日に現在の場所に鎮座しました。

ご祭神は明治天皇とお后の昭憲皇太后。

明治天皇が崩御された後、明治天皇の陵墓を東京に求める声があったが、明治天皇のご遺志により陵墓は京都へ(現在の伏見桃山陵)…。そこで、明治天皇をお祀りする神社の造営について実業家の渋沢栄一氏らを中心に計画が練られ、やがて完成したのが明治神宮なのです。

先の大戦での戦災で社殿は焼失してしまいましたが、神宮の杜(もり)は奇跡的にも戦禍を免れました。現在では毎年初詣で全国一の参拝者を誇る他、神宮の杜にあるスポーツ施設(神宮球場等)、他にも今や東京都内で人気のあるスポットにもなっている表参道はそもそもは明治神宮の表参道…。東京を代表する場所の1つとなっています。

JR高山線開通100年

令和2年(西暦2020年)11月1日。明治神宮が先に述べたとおり、鎮座100年を迎えていたちょうどその日、JR高山線が開通100年を迎えた日でもありました。

現在は岐阜駅から富山駅までを結ぶ路線になりましたが、最初に開業したのが岐阜駅から各務ケ原駅までの区間。ここが開業しました。

東海道本線が明治29年(西暦1889年)に新橋駅から神戸間で開通した頃に、名古屋から飛騨を通って北陸へ抜ける鉄道の構想が持ち上がったと言います。鉄道が開通できれば、飛騨地方で産出される森林資源を都会に持って行くことができるのでメリットはとても大きかったのです。しかし、日清戦争(西暦1894年から1895年まで)後の不況により実現は遠くなりました。

明治時代の終わりに私鉄が美濃地方に次々と開業。さらに大正2年(西暦1913年)には北陸線が全通し、岐阜で飛騨を抜けて北陸とを結ぶ鉄道敷設の機運が高まりました。当初、名古屋から飛騨を経て北陸へ抜ける鉄道計画は名古屋から犬山を経由して美濃太田へ抜ける案が有力でしたが、岐阜を中心とした有志が政治家を動かし、岐阜駅(西暦1887年に東海道線の駅として開業)、美濃太田を通るルートが確定しました。

ところが、この後もルートを巡る対立があり、

  1. 岐阜から坂祝町(さかほぎちょう)を抜けて美濃太田へ行くルート(憲政会が支持)
  2. 岐阜から関市を抜けて美濃太田へ行くルート(立憲政友会が支持)
  3. 美濃電気軌道という私鉄が関から美濃太田の建設を計画した

という3つ巴になってしまいましたが、最終的に1番のルートで決着がつきました。大正6年(西暦1917年)に岐阜駅から富山駅までの鉄道敷設が正式決定されました。

そして大正9年(西暦1920年)11月1日に岐阜駅から各務ケ原駅間の13.2kmが開業しました。そして長森駅と那加駅と各務ケ原駅が開業しました(蘇原駅は昭和17年(西暦1942年)6月1日に開業)。先に述べた明治神宮鎮座の日と同じ日で、祝賀の催しが行われたそうです。開通当時は1日5往復運転、所要時間は片道40分かかりました。

JR高山線が100年を迎える

まとめ

いろいろな運命のいたずらはあるのでしょうが、偶然同じ日に創建&開業したということで慶事が重なって面白いニュースだなと思ったので、思いつきで記事にしてみました!

明治神宮創建もJR高山線開業も、いずれも国民が望んで実現したものであるし、それが現在の私たちの生活にとても密着した存在になっているという点がまたよいことだなと思いました。

慶事がたくさん積み上げられるような国を作っていけるような智慧の基本をこれからも養っていきましょう!

 

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