前回は5月3日の憲法記念日を取り上げました。

今回は、日本の国民の祝日シリーズとして「みどりの日」について取り上げたいと思います。
「みどりの日」は春の大型連休(ゴールデンウィーク)のうちの1日ではありますが、この記事ではその意味内容を一緒に考えたいと思います。
なお、この記事の作成にあたっては、渡邉尚久校長先生の講話を参考にしています。
みどりの日の起源とその変遷
ところで、「みどりの日」はどのように誕生したのでしょうか?
その変遷を理解するところから始めましょう。
かつての5月4日の取り扱い – 「国民の休日」だった!
では、かつての5月4日は法律上、どのような扱いだったのでしょうか。
実は、昭和60年(西暦1985年)の祝日法改正(「国民の祝日に関する法律(祝日法)」改正(法律第103号))によって、カレンダーに面白いルールが追加されました。祝日法の条文を見てみましょう。
第三条 「国民の祝日」は、休日とする。
国民の祝日に関する法律第3条
2 「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。
3 その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る。)は、休日とする。
今回解説したいのは第3条第3項の条文です。「その前日及び翌日が『国民の祝日』である日は、休日とする」という規定です。 簡単に言えば、祝日と祝日に挟まれた平日は、オセロの石がひっくり返るように休日になるという条文が存在します。政府広報でも「オセロ休日」という言葉を用いているぐらいです。
では、例として具体的に5月のカレンダーを見てみましょう。5月3日は「憲法記念日」、5月5日は「こどもの日」という立派な国民の祝日です。この2つの祝日に挟まれた5月4日は、この「オセロの法則」が見事に適用される日でした。
こうして、昭和61年(西暦1986年)から平成18年(西暦2006年)までの間、5月4日はお休みになりました。しかし、これはあくまで「祝日に挟まれたからお休みになった」だけであり、「憲法記念日」のような固有の名前も、国が定めた特定の意義も持っていませんでした(祝日はそれぞれ特定の意味を持たせています(参照: 国民の祝日に関する法律第2条))。つまり、法律上は単なる「休日(通称:国民の休日)」であり、まさに「名もなきお休み」だったのです。
妥協から生まれた4月29日の「みどりの日」(平成元年(1989年)から平成18年(2006年)まで)
一方で、「みどりの日」は全く別の場所で誕生しました。
もともと4月29日は、昭和天皇の誕生日を祝う「天皇誕生日」でした。しかし、昭和天皇が崩御された平成元年(西暦1989年)、この日を今後どうするのかという激しい政治的議論が巻き起こりました。
激動の昭和という時代を後世に伝えるため「昭和の日」として残したいという意見がある一方で、戦争の記憶などから慎重な意見もあり、国会で意見が対立したのです。 その結果、昭和天皇が生物学者として深く自然を愛されていたことにちなみ、「みどりの日」とする妥協案が採用されました。こうして、平成元年(西暦1989年)に、4月29日は「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを目的とした「みどりの日」として生まれ変わりました。
つまり、平成の初め頃、カレンダーには「4月29日=みどりの日」と「5月4日=名もなき休日」が別々に存在していたのです。
「昭和の日」の制定と「みどりの日」の移行(平成19年(2007年)以降)
「4月29日=みどりの日」「5月4日=名もなき休日」というカレンダーの配置は、ここから18年間続きました。 しかし、「みどりの日」で一件落着とはなりませんでした。水面下では「やはり4月29日は本来の意味である『昭和の日』にすべきだ」という超党派の国会議員たちによる執念の運動が絶えず続いていたのです。
彼らは平成12年(西暦2000年)以降、何度も「昭和の日」を制定する祝日法の改正案を国会に提出しました。しかし、かつての対立の火種は消えておらず、野党からの反発にあい、さらには衆議院の解散などの政局の波に飲まれ、二度も「廃案(白紙撤回)」になるという不遇を味わいます。
「ただ名前を変えるだけでは、絶対に国会を通過しない」。そう悟った推進派は、法律に書き込む「意義(定義)」の文章を徹底的に練り直しました。 そして完成したのが、現在の祝日法に記されている次の一文です。
「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来を思いえがく。」
この文章が、局面を大きく動かしました。昭和という時代を単に礼賛するのではなく、「戦争という未曾有の悲劇(激動の日々)があった事実を正面から受け止め、そこからの奇跡的な経済復興を忘れないようにしよう」という客観的で痛切なメッセージが込められたことで、これまで反対していた陣営もついに賛成へと回ったのです。
「言葉の力」がイデオロギーの壁を越えた瞬間でした。こうして平成17年(西暦2005年)、強力なリーダーシップで知られる小泉純一郎内閣のもとで、ついに祝日法の一部改正案が国会で成立しました。
では、押し出されてしまった「みどりの日」はどうなったのでしょうか?「自然に親しむ」というみどりの日の素晴らしい理念をカレンダーから消してしまうわけにはいきません。そこで白羽の矢が立ったのが、前述した「オセロの法則」によってぽっかりと空いていた5月4日の「国民の休日」でした。
こうして、2年後の平成19年(西暦2007年)に、4月29日が悲願の「昭和の日」になったことで、「みどりの日」が5月4日へとスライドしました。まさに、激しい政治の攻防と法律の改正が引き起こした、壮大な「カレンダーの玉突き事故」です。
私たちが何気なく過ごしている連休の1日には、こうした歴代内閣の議論や、立場の違う大人たちが知恵を絞って合意形成を図ったドラマが刻まれているのです。

なぜ「みどりの日」という名称になったのか? – 昭和天皇の「雑草」をめぐるエピソード
ここまで、祝日法をめぐる大人たちの激しい政治的攻防を見てきました。
では、そもそも平成元年(西暦1989年)の段階で、なぜ妥協案の名前が「みどりの日」だったのでしょうか。それは、昭和天皇が深く自然を愛されていたことに由来します。しかし、ここで皆さんに知っていただきたい重要な事実があります。
昭和天皇は、単に「お花や自然を愛でるのが好きな方」だったわけではありません。皇居内に「生物学御研究所」を設け、ヒドロ虫類(海洋生物)や粘菌類、植物などの分類学を極めた、世界的な「研究者(生物学者)」だったのです。生涯を通じて多数の学術書を出版し、世界の科学者たちと交流を深めました。国家元首でありながら、自然の前では常に謙虚な「一学徒」として、顕微鏡を覗き続ける日々を送っておられたのです。
この「生物学者としての眼差し」を知ることで、ある有名なエピソードの聞こえ方が全く変わってきます。
昭和天皇が住まわれていた吹上御所の庭での出来事です。
ある年の9月中旬、昭和天皇が那須でのご静養から戻られることになりました。その際、着任したばかりの侍従(天皇のお世話をする職員)は、庭の草が茂りすぎているのを見て、良かれと思って建物周辺の草をきれいに刈り取らせました。天皇をお迎えするために、人間の手が入った「すっきりとした美しい庭園」にしようと考えたのです。
しかし、帰還された昭和天皇は、その侍従を呼んでこうお尋ねになりました。
「どうして庭を刈ったのかね。」
すると、侍従が、
「雑草が生い茂ってまいりましたので、一部お刈りいたしました。」
と答えると、お褒めの言葉どころか、予想外にお叱りを受けたのです。
「雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。」
この言葉は、単なる優しい感情論ではありません。
私たち人間は、自分たちの役に立つ植物を「作物」として育て、見た目が美しいものを「園芸植物」として大切にします。その一方で、人間の目的に合わないものや、思い通りにならないものを十把一絡げ(じっぱひとからげ)に「雑草」と呼んで排除しようとします。
つまり「雑草」という言葉は、植物のありのままの姿を表しているのではなく、「人間の役に立つかどうか」という人間側の物差しで、自然に勝手に線を引く行為なのです。そこには、自然界の複雑な繋がりを無視し、人間の都合だけで命の価値を切り分けてしまう論理が隠されています。それぞれの植物が持つ固有の「名前」を奪い、単なる「邪魔者」というレッテルで処理してしまうのです。
しかし、昭和天皇は生物学者としての視点で、その人間の無意識のおごりを静かにたしなめられたのだと拝察します。
生態系という大きな繋がりの中では、最初から「雑草」として生まれてくる植物など存在しません。どんなに小さく、人間に見向きされない草であっても、まずはそれぞれの場所で他の生物と関わり合い、自分だけの役割を果たして命を営んでいます。その一つ一つの独立した命のありようを認め、指し示すものこそが、それぞれの固有の「名前」なのです。
「雑草という草はない」という言葉は、私たち人間もまた複雑な生態系の一部として生かされているにすぎないという、「自然との共生」の本質を突いた深いメッセージなのです。
皇室に引き継がれる自然との共生の精神
こうした自然や環境に対する謙虚な「一学徒」としての姿勢は、その後の皇室にもしっかりと引き継がれています。
上皇陛下はハゼの分類学を専門とする世界的な魚類学者として知られています。そして今上陛下(天皇陛下)は、「水と人との関わり」をライフワークとされています。中世の淀川やイギリスのテムズ川などの「水運史(歴史・地理)」の研究に始まり、近年では気候変動に伴う水害や環境保全、衛生といった地球規模の「水問題」へと研究の幅を広げておられます。
動植物という個々の「命」を見つめる眼差しから、水という「環境」と人間社会がいかに共生していくかという探求へ。自然のありのままの姿を尊重し、学び続けるその真摯な姿勢は、時代が変わっても脈々と受け継がれているのです。
この背景を知ると、「みどりの日」という日本の祝日に込められたメッセージが、より一層深く、知的なものとして見えてくるのではないでしょうか。
次回は「こどもの日」を取り上げたいと思います。

国民の祝日を考えるシリーズ – 制作のねらい
日本の祝日がいくつあるのか、ご存じでしょうか?
現在、「国民の祝日に関する法律」によって年間16日の「国民の祝日」が設けられており、その日は休日になります。
この法律には国民の祝日を制定する目的が定められています。
自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。「国民の祝日に関する法律」第1条より
「祝日」が「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」であることを踏まえ、一人一人の国民が、祝日の意義を考えて、それにふさわしい1日を過ごすことができるようになりたいものです。ところが、その意味について学校で解説されることはあまり多くありません。
そこで、日本まほろば社会科研究室のウェブサイトにコンテンツを立ち上げて、1つ1つの祝日について考えてみたいと考えるようになりました。
他の祝日については、以下のリンク先に掲載されています。

大人になってから新たに知ることも出てくると思います。ぜひご覧ください。

