春分の日とは?をわかりやすく解説しました!

日本の祝日シリーズ「春分の日」 日本の「国民の祝日」について考えるシリーズ
日本の祝日シリーズ「春分の日」をわかりやすく解説しました
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春の訪れは、自然の中で最も美しい瞬間の一つです。

この季節の変わり目は、世界中の多くの文化で様々な形で祝われていますが、日本では特に「春分の日」を通じて、自然と先祖を深く敬う独自の伝統があります。

この記事では、春分の日とお彼岸の意味、起源、そしてこれらの日々をどのように過ごすべきかについて探ります。

なお、この記事は、「日本が好きになる!歴史授業」のプロデューサーである渡邊尚久先生の原稿を参考に作成いたしました。

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春分の日の意味と起源

春分の日とは?

春分の日は、日本の国民の祝日の一つで、毎年3月20日頃にあります。この日は、昼と夜の長さがほぼ等しくなる日であり、国民の祝日に関する法律では次のように定められています。

「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」

つまり、春分の日は自然の恵みに感謝し、生命を大切にする日とされています。単なる季節の節目ではなく、日本の伝統や価値観が込められた特別な日なのです。

春分とは?

春分しゅんぶんは、二十四節気の一つで、一年を24に分け、季節の移り変わりを示す指標とするものです。

この日は、太陽が真東から昇り、真西に沈むため、昼と夜の長さがほぼ同じになります。そして、この日を境に日が長くなり、本格的な春の訪れを迎えます。

また、春分と対になる概念としては秋分もあり、基本的な考え方は同じです。

春分の日はどうやって決まるの?

春分の日は、毎年3月20日または21日とされていますが、実は法律で固定された日ではありません。

では、どのように決まるのでしょうか?

春分の日は、国立天文台が公表する「暦要項れきようこう」によって毎年決まります。つまり、毎年、天文学的な計算によって決定されるため、日付が一定ではありません。

春分の日は、太陽と地球の位置関係によって決まります。

私たちが普段見ている太陽は、「黄道こうどう」と呼ばれる道を通って空を移動しています。一方で、地球の赤道を宇宙に延長したものを「てん赤道せきどう」といいます。

この黄道と天の赤道が交わる2点のうち、太陽が通過する点を「春分点」と呼びます。この「春分点」を太陽が通過する瞬間を含む日が、春分の日として決められるのです。地球の動きは完全に一定ではなく、わずかなズレが生じます。そのため、太陽が春分点を通過するタイミングが少しずつ変わるため、春分の日の日付も年によって変動します。

お彼岸とは?

春分の日が近づくと、「お彼岸ひがん」という言葉を耳にすることがあるかもしれません。お彼岸とは、日本の伝統的な行事の一つで、春と秋の年2回訪れます。春分の日を中日ちゅうにちとし、その前後3日間を合わせた7日間が「春のお彼岸」と呼ばれます。

「お彼岸」という言葉は仏教に由来しており、「彼岸」とはサンスクリット語で「涅槃ねはん」、つまり「悟りの境地」や「あの世」を意味します。日本では、春分や秋分の日はこの世(此岸しがん)とあの世(彼岸)が最も通じやすい時期と考えられ、ご先祖様への供養を行う習慣が生まれました。

もともと、お彼岸の考え方は仏教伝来以前から日本にありましたが、仏教が伝わった後に「彼岸会ひがんえ」という形で寺院での法要が行われるようになり、現在のような形になりました。春のお彼岸では、多くの人がご先祖様のお墓参りをし、「ぼたもち(牡丹餅)」を供える習慣があります。

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春分の日の変遷:春季皇霊祭から春分の日へ

もともとは皇室の重要な祭典だった

春分の日という国民の祝日の由来をさかのぼると、もともとは「春季皇霊祭しゅんきこうれいさい」と呼ばれる、宮中で執り行われる重要な儀式の日でした。この日は、天皇陛下が歴代天皇や皇族の霊をまつる日とされ、皇居内の皇霊殿こうれいでんで厳粛な祭祀が行われていました。

さらに、同じ日に「神殿祭しんでんさい」も行われ、八百万の神々へ敬意を表す儀式も執り行われました。これは、日本の神道における伝統的な考え方で、自然や祖先を敬う精神が反映されたものでした。

こうした皇室の祭祀は、約1200年前の『日本後紀』にも記録があり、平安時代にはすでに春分や秋分の日が意識されていたことが分かっています。例えば、天皇の皇子のために、春分や秋分を中心とした7日間、お経を読ませる習慣があったことが記されています。

明治時代に「祝祭日」として定められる

明治時代に入り、政府は国の公式な祭日・祝日を定めました。明治6年(1873年)の布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」によって祝祭日が制定され、明治11年(1878年)には「春季皇霊祭」と「秋季皇霊祭」が正式に祝日に加えられました。

当時の祝祭日は、「祝日」と「祭日」に分かれており、祝日は国家の節目を祝う日、祭日は天皇陛下が国家や国民の安寧を祈る日とされていました。春季皇霊祭は、天皇陛下が歴代の天皇や皇族をまつる祭典であり、まさに日本の伝統と皇室文化を象徴する重要な日でした。

戦後、GHQの占領政策による名称変更

しかし、昭和23年(1948年)、戦後のGHQ(連合国軍総司令部)の占領政策のもと、「春季皇霊祭」という名称は廃止され、「春分の日」として新たに制定されました。

この背景には、GHQによる戦後の占領政策が大きく影響しています。戦争に敗れた日本は、昭和20年(1945年)から昭和27年(1952年)までアメリカの占領下にありました。GHQは、日本が再び脅威にならないよう、天皇と国民の結びつきを弱める政策を推し進めました。その一環として、祝祭日の見直しが行われたのです。

もともと日本の祝祭日は、皇室や神道に深く根ざしたものでした。GHQは、これを「国家が宗教と結びつきすぎている」と見なし、次のような変更を行いました。

旧名称(戦前)新名称(戦後)
紀元節(建国を祝う日)建国記念の日
春季皇霊祭春分の日
秋季皇霊祭秋分の日
新嘗祭(五穀豊穣を祝う日)勤労感謝の日

春季皇霊祭は、歴代天皇の霊をまつる日でしたが、GHQの意向によって「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」として制定されました。これにより、春分の日は先祖供養の側面を持ちながらも、より一般的な「自然を敬う祝日」へと意味が変えられたのです。

現在の春季皇霊祭と春分の日

現在でも、宮中では春分の日に皇霊殿で春季皇霊祭が行われています。ただし、国の公式な祝日としては「春分の日」となり、皇室の祭祀としての位置づけは一般にはあまり知られなくなりました。

また、日本の祝日制度自体が大きく変わったため、多くの国民は祝日の歴史的背景を意識する機会が減っています。そのため、春分の日がもともと皇室の祭祀の日であったことを知る人は少なくなりつつあります。

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お彼岸に行うべきこと

お墓参りに行こう!

お彼岸の期間には、多くの日本人がご先祖様のお墓参りをします。

この行為は、過去の世代への感謝と敬意を示すと同時に、自分たちの生活を見つめ直し、これからの生活をより良くする機会となります。

また、お彼岸の期間には、家族が集まり、先祖を偲びながらぼたもちなどの伝統的な食べ物を共に楽しみます。

お彼岸の食文化:ぼたもちとおはぎの意味

お彼岸に欠かせない食べ物といえば、「牡丹餅(ぼたもち)」と「お萩(おはぎ)」です。

春と秋のお彼岸に食べる和菓子には、「牡丹餅(ぼたもち)」と「お萩(おはぎ)」という二つの名称があります。実はこれらは基本的に同じ食べ物ですが、呼び名が違うのには、日本の自然や文化が深く関わっています。

春のお彼岸には「牡丹餅」と呼ばれます。これは、春に咲く大きく華やかな牡丹の花に由来しています。一方、秋のお彼岸には「お萩」と呼ばれ、これは秋に咲く可憐な萩の花にちなんでいます。どちらも、もち米を炊いて軽くつぶし、甘く煮た小豆のあんこで包んだものですが、季節ごとの花に例えて名前が変わるのです。このように、日本の伝統文化では、自然の移り変わりや四季を大切にする考え方が食べ物の名称にも反映されているのが特徴です。

この「牡丹餅」と「お萩」の名称の違いに関連して、「春はこしあん、秋はつぶあん」という説が広まっています。これは、秋に収穫したばかりの小豆は皮が柔らかいため、皮ごと炊いた「つぶあん」が使われ、春には冬を越して皮が硬くなった小豆をこして「こしあん」にするという考え方に基づいています。ただし、この習慣は地域や家庭によって異なり、春でもつぶあんを使う場合や、秋でもこしあんを使う場合があり、全国共通のルールというわけではありません。

さらに、現代では小豆の保存技術が発達しており、冬を越したからといって小豆の皮が極端に硬くなるわけではありません。そのため、「春はこしあん、秋はつぶあん」という考え方は、伝統的な背景があるものの、必ずしも厳格な決まりではなく、現在ではあんこの種類は好みによる部分が大きいといえます。

まとめると、牡丹餅とお萩の名称の違いは、四季の移り変わりを大切にする日本の文化に由来するものです。あんこの種類の違いは伝統的な考え方として根付いてはいますが、現代では必ずしも統一されたルールではないというのが実情です。

おはぎ(秋)とぼたもち(春)は、先祖への供え物として、また、季節の変わり目を祝う特別な食べ物として受け継がれてきました。小豆を使用したこれらの食べ物は、赤い色が邪を払う力があるとされ、縁起が良いとされています。

春分の日をどう過ごそうか?

春分の日の楽しみ方をいくつか考えてみました。先ほどお墓参りの話を書きましたが、それ以外の過ごし方も考えてみました。

  1. 自然の中で過ごす: 春分の日は自然をたたえる日でもあるため、ハイキングやピクニックといったアウトドア活動に参加して、春の訪れを感じるのも良いでしょう。
  2. 春の花を楽しむ: 日本では桜の開花が春の象徴です。春分の日の周辺では桜の開花状況に注目し、花見の計画を立てることもできます。
  3. 家庭でのお祝い: お彼岸にちなんで家族でおはぎやぼたもちを作り、一緒に食事を楽しむのも素敵な方法です。
  4. 春のクリーニング: 冬の終わりを感じて家の大掃除を行うことで、新しい季節を清々しい気持ちで迎えることができます。
  5. 春分の日に関する本や文化を学ぶ: この日の意味や由来を学び、日本の文化や伝統について理解を深めます。
  6. ヨガや瞑想: 昼と夜の長さが等しくなるこの日は、バランスと調和の象徴とされます。ヨガや瞑想を行い、自己との調和を図るのもぴったりです。
  7. 春の料理を作る: 季節の食材を使った春の料理を作って、季節の変わり目を味わうのも一つの方法です。

いろいろと日本の祝日を楽しみましょう!

春分の日を通じて考える:日本の伝統と未来

春分の日は、自然のリズムと祖先への敬意を重んじる日本の文化を象徴しています。

現代においても、これらの日々を通じて、私たちは自然とのつながり、家族や社会との絆を再確認し、未来への思いを新たにする機会を得ることができるはずです。

齋藤武夫先生の「日本が好きになる!歴史授業」をもとに作成した投稿です

また、これらの伝統を大切にすることで、日本独自の文化的アイデンティティを守り、伝えていくことができます。

春分の日を迎えるにあたり、私たちは先祖への敬意を表し、自然との調和を目指して生活することの重要性を、改めて心に留めるべきです。

この時期に行われる様々な行事や習慣は、日本の豊かな文化遺産の一部であり、次世代に受け継がれるべき貴重な財産です。

 

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