日本国憲法の最初の条文は「天皇」から始まります。
この一文に、日本という国の“かたち”を示す重要な意味が込められています。
では、「天皇は日本国の象徴」とはどういうことなのか?
このページでは、条文の穴埋め問題を通して憲法第1条を学びながら、通説だけでなく私見を交えて「象徴天皇論」を紹介したいと思います。
日本国憲法第1条(穴埋め問題)
天皇は、日本国の( )であり日本国民統合の( )であつて、この地位は、( )に基く。
日本国憲法第1条(解答)
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
日本国憲法第1条(解説)
試験で押さえるポイント!
試験対策的には、「象徴」という言葉が出てくれば問題ありません。象徴天皇制というキーワードを覚えておきましょう。
通説とその限界
一般的な憲法学の教科書では、「大日本帝国憲法では天皇が主権者であったが、日本国憲法への改正によって主権が国民に移り、天皇は政治的権限を失って象徴にすぎなくなった。」と説明されることが多いです。
しかしながら、実際に帝国憲法の条文を読んでみると、「天皇に主権がある」と明記された箇所は存在しません。大日本帝国憲法の第4条には「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ總攬ス」と定められていましたが、これは天皇がみずから政治を行うという意味ではなく、国家権力の最終的根拠を天皇に帰属させる理念的宣言でした。
実際の政治運営は、内閣や各大臣が「輔弼」の責任を負い、天皇の国務行為はその輔弼のもとで形式的に行われていました(第55条「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」)。つまり、条文上は「統治権の総攬者」とされながらも、天皇が自ら政治的意思を形成し、決定を行うことは制度的にも慣例的にも想定されていなかったのです。
天皇が独断で重大な政治的判断を行ったのは、歴史上でも昭和20年(西暦1945年)8月の「ポツダム宣言受諾のご聖断」という国体の存立そのものをめぐる極限状況に限られます。
ここで改めて考えたいのは、「象徴」とは何を意味するのかということです。
戦後の教科書では、「象徴=政治的権限を持たない存在」と説明されがちですが、それだけでは不十分です。
大日本帝国憲法には「統治する」という言葉がありましたが、これはもともと「しらす(知らす・統べる)」という言葉でした。それは、支配する(ウシハク)ではなく、国民とともにある立場から国をまとめ、祈り、導くという意味を持っていました。
この「しらす」の思想こそ、今の天皇の「象徴」という言葉の中に受け継がれていると考えられます。
「主権の存する日本国民」とは?
条文の中で少し難しく感じるのは、やはり後半の「主権の存する日本国民の総意に基く」という部分でしょう。ここでいう「主権」とは、国家の政治のあり方を最終的に決める力のことを指します。つまり、日本という国の政治の最終的な決定権は国民にあり、天皇陛下の地位は、そうした主権者としての国民の総意によって支えられている、という意味です。これを主権在民とか国民主権と言います。
もっとも、現実の政治の場では、国民が直接政治を動かすわけではありません。私たちは選挙を通じて国会議員を選び、その代表の中から選ばれた内閣総理大臣がリーダーとして国政を担います。
政治の成功も失敗も、その責任は最終的に内閣にありますが、その内閣を生み出す基盤には、常に国民の意思が存在しています。したがって、「主権の存する日本国民」とは、個々の国民の多数意見そのものではなく、国家の制度を通して確定される「主権者としての国民意思」を意味しているのです。
天皇が日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるとは?
天皇陛下は「国民全体の心を一つにまとめて表す存在」であると言えます。私たちはそれぞれ考え方や意見が違いますが、国としての決まりごとや祝いや祈りの場面では、「日本の国民」として共に心を合わせます。そのようなバラバラの私たちを一つの国民として感じさせてくれる存在(お姿)が天皇陛下なのです。
だからこそ、天皇は政治を動かすわけではなくても、国民が同じ国の一員であるという事実を“見える形”にしてくださる存在なのです。
これが、憲法第1条にある「日本国の象徴・日本国民統合の象徴」という言葉の意味にあたると考えます。
考えてみよう
あなたは「象徴」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?
政治を動かす力ではなく、国の“心”を形にする力――それが「象徴」の意味だとすれば、あなたはどう考えるでしょうか。
(条文解説:加代 昌広 (KÁSHIRO Masahiro))


