日本国憲法条文穴め解説 – 憲法第13条について - 新しい人権について

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日本国憲法条文シリーズ
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憲法条文シリーズは、試験でよく出そうな日本国憲法の条文を解説するシリーズです。

今回は、日本国憲法第13条の条文を穴埋め問題を解きながら解説していきます。憲法第13条は本気で解説を始めるととても分量が多いので、特に中学校の教科書にも載っている「新しい人権」についての基礎的な部分の解説をしていきたいと思います。

まずは問いに答えて、それから解説を読みます。さらに、発展的な内容については<発展>という項目で解説を試みます。社会科が苦手だなと思う人は<解説>まで。得意だという人は<発展>まで読んでみてください。

復習は、条文を音読し、間違えた場合は正解を覚えましょう。空欄のまま条文が読めるようになれば合格です。

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日本国憲法第13条(穴埋め問題)

第十三条
 すべて国民は、個人として尊重される。( )( )及び( )に対する国民の権利については、( )に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法第13条(解答)

第十三条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法第13条(解説)

 憲法第13条の前段「すべて国民は、個人として尊重される。」というのは「当たり前すぎるやん!」という突っ込みが来そうな条文ですが、個人として尊重されなかったらどうなるんだろう?ということを考えましょう。独裁者のような人が登場してきて個人が不当に侵害されるようなことがあってはなりません。前段ではそのことが高々と書いてあります。

憲法第13条の後段「生命自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」の部分は、幸福追求権(こうふくついきゅうけん)について書かれています。 これは、私たち一般国民が国に対して「幸せにしてください!」と言える権利ではありません。自分の幸せは自分で決めてもよい、みなさんがそれぞれの価値観に基いて幸福を追求していいですよ、ということです。

もう1つ注目しなければならないのは「新しい人権」です。 憲法ができてから70年以上が経ちますが、憲法を作った先の大戦後の頃と現在とは全く時代が異なります。そこで、憲法第13条を根拠にして憲法の条文に書かれていない内容の人権も保障していこうと考えられるようになります。これが「新しい人権」です。もっとも、「新しい人権」を無限に認めていくと、人権そのものの価値が下がってしまいます(人権のインフレ化)。

ところで、「人権が認められる」とは具体的にどんな意味があるのかというと、その人権を使って裁判所に訴えることができるということです。一見よいことのように思われるかもしれませんが、もともと憲法の条文の中に書いてある人権と些細(ささい)なことで争いが起きてしまいます。だから、一定の歯止めが必要だと言われています。裁判所もあまり多くの新しい人権を裁判所は認めていません。

新しい人権についての具体例をいくつか見てみましょう。

プライバシー権について

プライバシー権とは、自分に関する情報をコントロールする権利のことです。例えば、人はみだりに撮影されない自由を持っているのだという肖像権(しょうぞうけん)であったり、指紋をみだりにとられることを強制されない自由がある(指紋(しもん)押捺(おうなつ)拒否の自由)といった事例を具体的にあげることができます。

名誉権

名誉権(めいよけん)とは、人に対する社会的な評価や感情を保障する権利のことです。名誉は人が人として生きていくために大切なものですよね。憲法第13条の幸福追求権の内容にもあてはまりそうな内容です。これも裁判所で認めた新しい人権の1つです。

自己決定権

自己決定権(じこけっていけん)とは、自分の生き方を自分で決められる権利のことです。もう少しふみこんで話をすると、自分で自分の生き方を決める権利を国などから干渉(かんしょう)を受けないことを意味します。

患者の自己決定権についての裁判所の判断(発展)

具体的な事件を1つ紹介しましょう。下の文章は裁判所の文章を分かりやすくするために一部変えて引用しました。赤字の強調はボクがやりました。事件を追ってみましょう。なお、裁判所の文章なのでちょっと長くて中高生の皆さんには難しいかもしれません。引用後には簡単な解説を加えているのでそちらだけご覧ください。

 亡甲野花子(以下「花子」という。)は、昭和4年1月5日に出生し、同38年からX宗教の信者であって、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を受けることは拒否するという固い意思を有していた。花子の夫である甲野太郎は、X宗教の信者ではないが、花子の意思を尊重しており、亡甲野花子の長男である甲野一郎は、その信者である。

東京大学医科学研究所附属病院(以下「医科研」という。)に医師として勤務していたAは、X宗教の信者に協力的な医師を紹介するなどの活動をしているX宗教の医療機関連絡委員会(以下「連絡委員会」という。)のメンバーの間で、輸血を伴わない手術をした例を有することで知られていた。しかし、医科研においては、外科手術を受ける患者がX宗教の信者である場合、信者が、輸血を受けるのを拒否することを尊重し、できる限り輸血をしないことにするが、輸血以外には救命手段がない事態に至ったときは、患者及びその家族の諾否にかかわらず輸血する、という方針を採用していた。

花子は、平成4年6月17日、国家公務員共済組合連合会立川病院に入院し、同年7月6日、悪性の肝臓血管腫(かんぞうけっかんしゅ)との診断結果を伝えられたが、同病院の医師から、輸血をしないで手術することはできないと言われたことから、同月11日、同病院を退院し、輸血を伴わない手術を受けることができる医療機関を探した。

連絡委員会のメンバーが、平成4年7月27日、A医師に対し、花子は肝臓ガンだと思われるので、その診察を依頼したい旨を連絡したところ、同医師は、これを了解し、右メンバーに対して、がんが転移していなければ輸血をしないで手術することが可能であるから、すぐ検査を受けるようにと述べた。

花子は、平成4年8月18日、医科研に入院し、同年9月16日、肝臓の腫瘍(しゅよう)を摘出(てきしゅつ)する手術(以下「本件手術」という。)を受けたが、その間、甲野花子、甲野太郎及び甲野一郎は、A医師並びに医科研に医師として勤務していたD及びE(以下、右3人の医師を「A医師ら」という。)に対し、花子は輸血を受けることができない旨を伝えた。甲野一郎は、同月14日、A医師に対し、花子及び太郎が連署した免責証書を手渡したが、右証書には、花子は輸血を受けることができないこと及び輸血をしなかったために生じた損傷に関して医師及び病院職員等の責任を問わない旨が記載されていた。

A医師らは、平成4年9月16日、輸血を必要とする事態が生ずる可能性があったことから、その準備をした上で本件手術を施行した。患部の腫瘍を摘出した段階で出血量が約2245ミリリットルに達するなどの状態になったので、A医師らは、輸血をしない限り花子を救うことができない可能性が高いと判断して輸血をした

花子は、医科研を退院した後、平成9年8月13日、死亡した。訴えた甲野太郎及び甲野一郎は、その相続人である。

花子が信仰していたX宗教では輸血を受けてはダメだという教えがあったのだけれども、医師Aは命を救うために輸血をしました。医師Aの手術は違法(いほう)ではありません。きちんと手術をしています。でも、訴えた花子さんのご家族は納得していません。

「宗教の教えに反して輸血をしてしまったではないか…。花子の輸血しないと決定した権利は認められるべきだ!」

花子さんの訴えを裁判所はどのように判断したのかを見てみましょう。

 本件において、A医師らが、花子の肝臓ガンを摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、花子が、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有しており、輸血を伴わない手術を受けることができると期待して医科研に入院したことをA医師らが知っていたなど本件の事実関係の下では、A医師らは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、花子に対し、医科研としてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して、医科研への入院を継続した上、A医師らの下で本件手術を受けるか否かを花子自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。

ところが、A医師らは、本件手術に至るまでの約1か月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、花子に対して医科研が採用していた方針を説明せず、甲野花子及びその家族に対して輸血する可能性があることを告げないまま本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。そうすると、本件においては、A医師らは、右説明を怠ったことにより、花子が輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うものというべきである。

輸血を受けることを拒否することを決める権利を裁判所は尊重しました。

環境権

環境権(かんきょうけん)とは、良好な環境の中で生活を営む権利のことを言います。教科書にはわりと大きくとりあげられていますが、これは裁判所では認められていません。理由は、「環境」といってもそれが指すものが具体的ではないからです。

憲法学者は環境権を認めるべきだと主張している人もいますが、現時点においては環境権を認めたという法律もありませんし、裁判所の判断もありません。

 

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