【中学歴史】 四大文明(2) – エジプト文明についてわかりやすく解説

世界の古代文明と宗教のおこり 中学歴史・国史[日本史探求]・歴史総合
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今回は、四大文明の1つである「エジプト文明」についてわかりやすく解説していきます。

エジプト文明の具体的な説明に入る前提として、「文明」が発展するための世界的な傾向についてまとめてみたのでそれを学習します。

その後に、「エジプト文明」がいつ?どこの大河の流域で?起こって、どんな特徴があるのかを見ていきたいと思います。

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そもそも四大文明とは?

四大文明についてのあらまし

四大文明とは次の4つの文明のことを指し、いずれも温暖な地域で大きな川の近くで起こりました。農耕牧畜が川の流域で行われるようになったからです。

文明名発展した川の流域文字
メソポタミア文明チグリス川・ユーフラテス川くさび形文字
エジプト文明ナイル川象形文字
インダス文明インダス川インダス文字
中国(チャイナ)文明黄河・長江甲骨文字

エジプト文明以外の四大文明の説明についてはこちらを参照してください。

文明の特徴

特に、アフリカやアジア地域の大河の近くでは灌漑(かんがい)が行われました。灌漑というのは、農耕に必要な水を川などから水路を作って活用することを言います。水路を作るには大規模な工事が必要になります。その際に税金を集めたり事務を行うにあたって文字を使って様々な記録をしていきます。したがって、文明が起こった地域には文字が使われました。

灌漑が行われることで、穀物(こくもつ)を育てることに成功します。穀物とは、農作物のうちで種子を食用とするために栽培されるものを言います(スーパー大辞林3.0(三省堂)より)。1粒の種子からたくさんの実を収穫できるので、多くの人たちの生活を支えることに成功しました。稲穂を想像したら明らかですね!

日本では五穀(ごこく)と言って、米・麦・粟(あわ)・黍(きび)または稗(ひえ)及び豆を言います。五穀豊穣(ごこくほうじょう)という言葉がありますね。穀物が豊かに実るといいなぁという願いがこめられています。これらの食物は今でも私たちの生活を支える大切な農作物ですね。
五穀以外にも、穀物にはトウモロコシなどがあります。

穀物の名前を素読しよう!

また、金属器として青銅器鉄器が発達し、貿易や農業の生産性も大きく向上します。

このようにして大河の流域には都市が誕生しました。

金属器や文字や都市を備えた社会の状態のことを文明と呼んでいて、世界各地で文明が生まれました。中学校の教科書では特に四大文明と呼んで、上の4つの地域のことについて勉強していきます。

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エジプト文明

いつ?どこで?起こった文明なのか?

紀元前3000年頃、ナイル川流域で文明が起こりました。これがエジプト文明です。

なぜナイル川流域で文明が生まれたのか?

ナイル川は毎年夏になると氾濫が起こります。ナイル川流域の土地には上流から栄養のある土が流れてきます。その上で農耕や牧畜が行われたのです。

これにちなんで、ギリシアの歴史学者であるヘロドトスという人は、

エジプトはナイルのたまもの

という名言を遺しました。

氾濫の時期を計算するために暦が生まれた!

確かに農耕・牧畜を行うのには豊かな土壌が必要です。しかし毎年夏の時期になってナイル川が氾濫しているのです。今のように天気予報もありませんし、日本のような四季もありませんから気温による変化で季節の移り変わりを感じるのも難しいのです。だからいつ何時ナイル川が氾濫するのかも分かりません。あんまり住みたくないかも…と思う人も多いと思います。

でもエジプトには文明が発達したのです。エジプト人はどれぐらいの時期に川が氾濫するのか?ということを予想して、そこから備えを始めることを考え出したのです。

ではどのように予想をしたのかというと星を使いました。太陽の次に明るい星にシリウスという星がありました。シリウスは星座で言うとおおいぬ座の星です。この星をエジプト人は観察を続けました。すると、次のようなことが分かってきたのです。

シリウスは冬の大三角形を構成する星の1つです。つまり冬にならないと見えない星なのです。逆に夏には見えません。夜に輝くは季節ごとに見える星が異なります。エジプト人は星を観察していると、シリウスが日の出とともに東の空に見える季節を発見しました。そして、この時期が来ると洪水が起こることが分かったのです。洪水が起こる時期の予想がつけばエジプト人は備えをすることができます。しかも、これがだいたい365日ごとにだいたい夏至の頃に繰り返すことが分かったのです。このようにして、エジプト人は氾濫とともに生き肥沃な大地での豊かな生活ができるようになったのです。

また、太陽の天体観測も同じように行ったところから生まれたのが太陽暦という暦だったのです。

氾濫時の人々の暮らしとピラミッド

ナイル川で氾濫が起こると農業を行うことはできません。この季節に人々はどのように生計を立てていたのでしょうか?

時のエジプトの王は、農作業ができない人たちに対してピラミッドの建設の仕事を与えて、衣食住の保障をしたとも考えられるようになっています。これまでは、ギリシアの歴史家のヘロドトスの記録で「奴隷を使ってピラミッドを建設させていた」といったところからエジプトの王の強権的な政治の象徴だとされてきましたが、近年の調査によるとそうではないのではないかということが分かってきたのです。ただ、実は明確にはピラミッドの建設の理由は分かっていないそうです。

ピラミッドは、もともとは高さが146.94mもあり、底辺230.37m、勾配51度50分40、容積約235.2万立方メートルもある巨大な建造物です。高度な幾何学(きかがく)がなければ作ることはできません。

文字は象形文字が使われていた

文明の特徴として文字の存在がありました。

エジプト文明においては象形文字(しょうけいもじ)という文字が使われていました。パピルスと呼ばれる紙に記されている記録が残っています。

メソポタミア文明とエジプト文明は対比して覚えよう!

メソポタミア文明とエジプト文明はまとめてオリエント文明と呼ばれることもあります。

オリエントというのは太陽の昇る地域という意味。ヨーロッパから見ると、メソポタミアやエジプトは太陽が昇る東に位置していることから名付けられています。

試験的にはこの2つは対比して覚えておくと便利です。

メソポタミア文明エジプト文明
大河チグリス川・ユーフラテス川ナイル川
太陰暦太陽暦
文字くさび形文字象形文字

メソポタミア文明も併せて見ておくことをオススメしたいです。

 

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