【中学歴史・国史(日本史)】須佐之男命の八岐大蛇退治のお話をわかりやすく解説

日本の肇国を知ろう 記紀における日本の肇国
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今回は、須佐之男命(すさのおのみこと)八岐大蛇(やまたのおろち)のお話についてわかりやすく解説します。

須佐之男命(すさのおのみこと)が高天原でヤンチャなことをやってしまったため、天照大御神はお怒りになって洞窟の中に引きこもられてしまいました。思金神(おもいかねのかみ)という神様が知恵を絞って、洞窟の外で「お祭り」を行うことにしてみました。結果、「お祭り」は大成功!有名な「天の岩戸」の物語です。

この結果、須佐之男命(すさのおのみこと)は神々が住む高天原(たかまがはら)を追放されることになりました。今回のストーリーはここから始まります!

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五穀の種の起源

須佐之男命は高天原での振る舞いを反省するため、神々に備えるための食物を大気都比売神(おおげつひめのかみ)にお求めになりました。大気都比売神(おおげつひめのかみ)は鼻や口やお尻からいろいろな美味しそうな食べ物を取り出して、料理をして差し出しました。その様子を見ていた須佐之男命は、食べ物をわざわざ穢(けが)して差し出しているのではないかと勘違いなさいました。すると、須佐之男命は大気都比売神(おおげつひめのかみ)を殺してしまいました。

殺された大気都比売神(おおげつひめのかみ)の体からは次のようなものが出てきました。

  • 頭からは蚕(かいこ)
  • 目からは稲
  • 耳からは粟(あわ)
  • 鼻からは小豆(あずき)
  • 陰部からは麦
  • お尻からは大豆

これらを拾い上げたのは、別天神(ことあまつかみ)の1柱とされる神産巣日神(かむむすひのかみ)です。一般的に、日本で五穀(ごこく)とは何か?と言われたら、米・麦・粟・豆・稗(ひえ)または黍(きび)のことを言います。「古事記」では少し違いますが、五穀が登場しました。五穀は「いつつのたなつもの」と呼ぶこともあります。

須佐之男命、出雲に行く

須佐之男命は現在の島根県のある出雲国(いずものくに)の斐伊川(ひいがわ)の上流の鳥髪(とりかみ)というところに降り立ちました。須佐之男命は鳥髪(とりかみ)の上流に誰か住んでいることに気づかされました。

須佐之男命は上流に向けて移動なさいました。すると、やはり家がありました。

家の中では老夫婦が娘を挟んで泣いていたのです。須佐之男命は名前をお尋ねになりました。

「自分は、出雲の地の守護神の大山津見神(おおやまつみのかみ)(「神生み」の時に生まれる)の子で、名前は足名椎(あしなづち)、妻の名は手名椎(てなづち)、娘の名前は櫛名田比売(くしなだひめ)と申します。」

須佐之男命はさらに泣いているわけを足名椎(あしなづち)にお尋ねになりました。

「私には8人の娘がいたのですが、毎年八岐大蛇(やまたのおろち)が来て、1人ずつ食べてしまうのです。そして娘が残り1人になってしまいました。それが櫛名田比売(くしなだひめ)です。ぼちぼちその時期がやってきてしまったのです。」

足名椎(あしなづち)はこのように答えました。
須佐之男命は八岐大蛇(やまたのおろち)の姿形について尋ねました。

「その目はホオズキのように赤く、頭は8つ、尾が8つ、その身には苔(こけ)、檜(ひのき)、杉(すぎ)などが生え、体の大きさは8つの谷、8つの峰にわたり、その腹を見ればことどとく血がにじんでいます。」

須佐之男命は自分が天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟であり、天から降りてきたばかりであることを告げると、足名椎(あしなづち)は櫛名田比売(くしなだひめ)を差し出すことを決心しました。

八岐大蛇をやっつけよう!

須佐之男命は、櫛名田比売を湯津爪櫛(ゆつつまくし)という神聖な櫛(くし)に変え、ご自分の髪に挿した上で、足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)に次のように命じられました。

「8度繰り返して醸造(じょうぞう)した強いお酒を用意し、垣根を巡らせて、そこに8つの穴をあけて、穴ごとに台を置き、それぞれにお酒を入れる器(うつわ)を置き、強いお酒を満たして待ちなさい。」

足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)は須佐之男命に申しつけられたように準備をしました。

準備を終えてしばらく待っていると、足名椎(あしなづち)が言っていたような姿形をした怪物がやってきました。八岐大蛇(やまたのおろち)がやってきました。八岐大蛇(やまたのおろち)は8つの器に頭を突っ込んでお酒を飲み始めました。しばらくするとお酒がまわって眠ってしまいました。そこで、須佐之男命は腰につけていた十束剣(とつかのつるぎ)を抜いて寝ている八岐大蛇(やまたのおろち)に斬りかかりました。真っ赤な血がほとばしり、斐伊川(ひいがわ)は真っ赤に染まりました。

須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)の尾をお切りになっていたとき、何か堅いものに当たって十束剣(とつかのつるぎ)が欠けてしまいました。これは何だろうとお思いになって覗くようにご覧になると、そこから神々(こうごう)しい剣が出てきました。草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。

須佐之男命は草薙剣を高天原(たかまがはら)におわす天照大御神(あまてらすおおみかみ)に献上なさいました。この草薙剣(くさなぎのつるぎ)が、やがて皇位の印である「三種の神器」の1つになりました。

ここで、「八咫鏡(やたのかがみ)」「八尺の勾玉(やさかのまがたま)」に加えて「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」が揃いました。

これらの三種の神器は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御孫にあたる邇邇芸命(ににぎのみこと)の降臨(天孫降臨)の際に地上世界に持って行かれます。くわしくはこちらへ。

須佐之男命、日本で最初の和歌を詠む

戦いが終わると、須佐之男命は櫛名田比売(くしなだひめ)と出雲で新婚生活を送るための宮殿を作るべき場所をお探しになりました。

やがて、須賀(すが)という場所にたどり着かれました。ここに宮を作ってお住まいになりました。

須佐之男命が須賀に宮をお作りになったとき、その地から雲が立ち上がりました。そこで次のような和歌をお詠みになりました。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

「古事記」の中で、この和歌が一番最初の和歌です。後に、「古今和歌集(こきんわかしゅう)」の序文を書いた紀貫之(きのつらゆき)は、この歌を日本最初の和歌であると述べています。

さて、この地に須佐之男命は足名椎(あしなづち)をお呼びになり、稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)という名前をお与えになり、須賀宮の首長にしました。

この宮があったとされる場所に現在も神社があります。
https://www.susa-jinja.jp/

須佐之男命は櫛名田比売(くしなだひめ)との間にお生まれになった神様から数えて五世孫(須佐之男命からの六世孫)にあたるのが、大国主神(おおくにぬしのかみ)です。

物語は大国主神を中心として展開していきます。

 

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