今回は、天照大御神と須佐之男命の誓約についてわかりやすく解説していきます。
黄泉国から戻ってきた伊耶那岐神は禊祓をなさったことによって、多くの神々が成りました。その中でも、天照大神と月読命と建速須佐之男命は三貴士と呼ばれ、それぞれ、天照大神は神々がいらっしゃる高天原、月読命は夜の世界、建速須佐之男命は海原を「知らす(治める)」ように伊耶那岐神は命ぜられました。
しかし、建速須佐之男命は国を治めず泣いてばかりで、その原因は伊耶那美神がいらっしゃる国へ行きたいのだと仰いました。それを聴いた伊耶那岐神はお怒りになり、建速須佐之男命は追放されてしまいました。
今回の物語はその続きです。
追放された須佐之男命が高天原にやってくる!
追放されてしまった建速須佐之男命(以下、「須佐之男命」と表記します)は、黄泉国へお出かけになる前に高天原に上って、天照大御神のところに報告にやってきました。
須佐之男命は心が荒ぶっていらっしゃいました。須佐之男命が天に舞い上る際に山や川や土は激しく揺れ動きました。須佐之男命は嵐の神様でもあるからです。その異様な事態に天照大御神は驚き、
「須佐之男命が高天原にやってくるのは高天原を奪いに来たに違いない!」
と仰せになり、完全武装の状態で弟の須佐之男命が来られるのにお備えになりました。
天照大御神は、
「なぜ高天原に来たのか?」
と須佐之男命に尋ねます。すると、須佐之男命は
「亡き母(伊耶那美神)がいる国へ行くにあたってあいさつをしたいと思って参上したのです。やましい心はありません。」
と返答なさいました。
須佐之男命の清明(せいめい)を証明するために誓約(うけい)をする
しかし天照大御神は須佐之男命の潔白を信用しません。そこで、須佐之男命は提案します。
「お互いに誓約をして子を生みましょう」
誓約とは、あらかじめ決めたとおりの結果が現れるかどうかで吉凶を判断する占いの一種です。
さて、2柱の神は、天の安の河という高天原に流れる河を挟んでお立ちになって、誓約が始まりました。
まず、天照大御神が須佐之男命の持っている十拳剣を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から三柱の女神が生まれました。
- 多紀理毘売命
- 市寸島比売命
- 多岐都比売命
これらの女神は宗像三女神と呼ばれます。後に天照大神から「九州地方から朝鮮半島、大陸へつながる海の道(海北道中)へ降りて、歴代天皇をお助けすれば歴代天皇が祀るでしょう」という神勅を受けます。
この神勅を受け、多紀理毘売命は沖ノ島へ、市寸島比売命は大島へ、多岐都比売命は田島へそれぞれ降り、天皇をお守りすることになりました。宗像三女神は、現在でもそれぞれ沖津宮(沖ノ島)、中津宮(筑前大島)、辺津宮(宗像市田島・総社)に鎮座しています。3社を合わせて宗像大社と総称され、現在も崇敬されています。
古くから大和朝廷を支えたため、多くの遺跡が宗像周辺にはあり、世界文化遺産「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」として登録されています。これらの島は、遣隋使や遣唐使も目印として海を渡ったことから、交通安全の神としても知られてます。
次に、須佐之男命が、天照大御神の勾玉を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の五柱の男神が生まれました。
- 天忍穂耳命
- 天之菩卑能命
- 天津日子根命
- 活津日子根命
- 熊野久須毘命
ちなみに、天忍穂耳命は現在の天皇陛下に直接につながる神様なので、お名前を覚えておきましょう。
ここで、誓約をまとめてみましょう。
須佐之男命は「自分が清明であったからこそ天照大御神からたおやかな女神が生まれたのだ」と言って勝利宣言をします。そして、勝ち誇ったかのように、天照大御神の田の畦を壊し、溝を埋め、新嘗祭にも使う御殿にウンコをまき散らして高天原で大暴れをしました。この時は天照大御神はお許しになりました。
ところが、天照大御神が機織り小屋で神の衣を織らせていると、その小屋の屋根に穴を空けてそこから馬を落としました。びっくりした機織女は驚き、機の横糸を通す道具で女性器を突き刺して死亡しました。
さすがにこれを天照大御神も黙っていることはできませんでした。天の岩戸という岩をお開けになって自ら洞窟の中に閉じこもってしまわれました。すると、高天原も葦原中国つまり地上も真っ暗になってしまいました。昼が来ない夜だけの世界になってしまったのです。そして、いろいろな災いが起こるようになってしまったのです。
神々の世界も地上世界も真っ暗な状況になってしまいましたが、神々はこの状況をどのように打開していくのでしょうか?この続きが有名な「天の岩戸の物語」へと繋がっていきます。