【中学歴史・国史(日本史)】日向三代神話(2) 海幸彦と山幸彦の話をわかりやすく

日本の肇国を知ろう 記紀における日本の肇国
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今回は、「古事記」や「日本書紀」に載っている日向(ひむか)三代のお話の続きです。

地上正解に降り立った邇邇芸命(ににぎのみこと)は、神生みでお生まれになった山の神である大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と結婚し、

  1. 火照命(ほでりのみこと)
  2. 火須勢理命(ほすせりのみこと)
  3. 火遠理命(ほおりのみこと)又の名は天津日高日子穂穂出見命(あまつひこひこほほでみのみこと)

の3柱の子どもに恵まれました。

神統譜
神統譜

邇邇芸命(ににぎのみこと)は、山の神の娘を娶(めと)ることによって山の神の霊力を手に入れました。天孫降臨から地上世界での足場を固め始めました。

今回は、邇邇芸命(ににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の子どもである火照命(ほでりのみこと)と火遠理命(ほおりのみこと)の2柱が主人公になっていきます。

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海幸彦と山幸彦の話

山幸彦、兄の釣り針をなくす

兄の火照命(ほでりのみこと)は、海の獲物を取る男として、海幸彦(うみさちびこ)とも呼ばれていました。海幸彦は海の魚を獲っていました。

一方、弟の火遠理命(ほおりのみこと)は、山の獲物を取る男として、山幸彦(やまさちびこ)とも呼ばれていました。山幸彦はいろいろな獣を獲っていました。

ある日、弟の山幸彦は兄の海幸彦に話を持ちかけました。

「お互いに道具を交換して獲る獲物を変えてみよう。」

弟の山幸彦はしつこく兄の海幸彦に迫りました。兄の海幸彦は渋々道具を交換することに同意し、弟の山幸彦が海釣りへ、兄の海幸彦が山で獣を獲りに行きました。

海で魚を釣っていた弟の山幸彦は、魚を一匹も釣れず、さらに兄の海幸彦が大切にしていた借りた釣り針を海に落としてしまいました。

弟の山幸彦は兄の海幸彦に対して詫びを入れます。弟の山幸彦は、自分の十拳剣(とつかのつるぎ)で釣り針をつくり、500個持って行って謝っても1000個持って行って謝っても、兄の海幸彦は許してくれませんでした。兄の海幸彦はどうしても自分の釣り針を返すように迫りました。困り果てた山幸彦。そこへ潮の流れをつかさどる塩椎神(しおつちのかみ)が現れ、どうしたのかと山幸彦に尋ねました。塩椎神(しおつちのかみ)は山幸彦に言いました。

「ならば、私が船を作る。そしてその船に乗ってそのまま進みなさい。私がこの船を流します。そうしたら海の神の神殿にたどり着きます。たどり着いたら海の神の娘が何かしら取り計らってくれます。」

山幸彦は塩椎神(しおつちのかみ)が言ったようにしました。すると、山幸彦は海の神の神殿にたどり着きました。海の神の名前は、大綿津見神(おおわたつみのかみ)と申し上げます。大綿津見神(おおわたつみのかみ)は、伊耶那岐神(いざなぎのかみ)伊耶那美神(いざなみのかみ)による「神生み」の時に誕生した神様です。

綿津見の宮での生活

塩椎神(しおつちのかみ)が言ったように、山幸彦が海の神の神殿に到着したとき、海の神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘の豊玉毘売(とよたまびめ)と出会いました。山幸彦を見た豊玉毘売(とよたまびめ)は一目惚れをしました。豊玉毘売(とよたまびめ)は父の大綿津見神(おおわたつみのかみ)にこのことを報告しました。

「その方は天つ神の御子である。」

大綿津見神(おおわたつみのかみ)は山幸彦の正体を見抜きました。そして2人を結婚させました。

山幸彦は海の神の神殿で3年間暮らしました。ここで、山幸彦は自分が兄の海幸彦の釣り針を探しに来ていたことを思い出しました。海の神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)は宮殿に海の生き物たちを集めて、山幸彦がなくした釣り針のことを尋ねました。そうしたら、鯛の喉に釣り針が刺さっていることに気づきました。

山幸彦は故郷に帰ることになりました。その際に、海の神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)は、満潮を引き起こす呪力を持った塩盈珠(しおみつたま)と、干潮を引き起こす呪力を持った塩乾珠(しおふるたま)を山幸彦に授けました。そして、

「この釣り針を呪文を唱えながら手を後に回して兄の海幸彦に渡しなさい。そして兄の海幸彦が高いところに乾いた田を作ったのであれば、あなたは低いところに田を作りなさい。もし兄の海幸彦が低いところに低いところに田を作ったのならば、あなたは高いところに田を作りなさい。そうすれば、わたしは水を支配しているから、3年の間に兄の海幸彦は必ず貧しくなるでしょう。それを恨めしく思って兄の海幸彦があなたのところに攻めてきたら、塩盈珠(しおみつたま)を使って兄の海幸彦を溺れさせなさい。そして助けを求められたら塩乾珠(しおふるたま)を出して生かし、悩ませ苦しめなさい。」

と教えました。

山幸彦、ついに釣り針を返す

山幸彦は故郷に戻りました。海の神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)のアドバイスどおり、弟の山幸彦は兄の海幸彦に釣り針を返しました。

しばらくすると、海の神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)の言ったとおり、兄の海幸彦は貧しくなっていきました。やがて、兄の海幸彦は弟の山幸彦のところに攻めてきました。山幸彦は海の神の大綿津見神(おおわたつみのかみ)から授けられた塩盈珠(しおみつたま)と塩乾珠(しおふるたま)を使って兄の海幸彦を苦しめました。

ついに、兄の海幸彦は弟の山幸彦に服従することを誓いました。海幸彦は山幸彦を昼夜お守りすると誓いました。

海幸彦こと火照命(ほでりのみこと)は、後の薩摩国阿多郡(現在の鹿児島県南さつま市)に勢力を持った隼人(はやと)の阿多君(あたのきみ)の祖となります。

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鵜葺草葺不合命の誕生

しばらくすると、山幸彦こと火遠理命(ほおりのみこと)のところへ海の神の娘の豊玉毘売(とよたまびめ)が尋ねてきました。懐妊したことを報告しに来ました。天つ神の御子を産むので海原で産むわけにもいきませんというわけで、山幸彦のところにやってきたのです。

海辺の波打ち際に、鵜の羽根を葦(あし)に見立てた産屋を建てました。ところが、その産屋を葺き合えぬうちに豊玉毘売(とよたまびめ)は産気づいてしまいました。豊玉毘売(とよたまびめ)は、夫の火遠理命(ほおりのみこと)に言いました。

「私が出産をしている間、絶対に覗いてはなりません。」

こう言って豊玉毘売(とよたまびめ)は産屋に入っていきました。しかしこう言われると見てしまうのが性なのでしょう。火遠理命(ほおりのみこと)は産屋の中を覗いてしまいました。豊玉毘売(とよたまびめ)は本当の姿である鮫になっている姿を見られて恥ずかしく思ってしまいました。

豊玉毘売(とよたまびめ)は御子をお生みになったものの、御子の子育てを妹の玉依毘売(たまよりびめ)に任せて、自分は海への境界を閉ざして海へ帰っていきました。

神統譜
神統譜

その御子は、鵜の葦草(かや)を葺き合えぬ前にお生まれになったことから、天津日子日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と申し上げます。通称、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と申し上げます。

鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)は、天地初発(天地開闢)の際に成った高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の系統を受け継ぎ(天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の御子である邇邇芸命(ににぎのみこと))、山の神である大山津見神(おおやまつみのかみ)の系統を受け継ぎ(邇邇芸命(ににぎのみこと)の御子である火遠理命(ほおりのみこと))、さらにこのコンテンツでも見たとおり、海の神である大綿津見神(おおわたつみのかみ)の系統を受け継いだ御子です。また、言わずもがな、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の系統も受け継いでいます。

天つ神の御子はこのようにして、結婚によって地上世界を統治する正当な力を手に入れていきました。

邇邇芸命(ににぎのみこと)から火遠理命(ほおりのみこと)を経て鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)は、九州南部を拠点としたため、日向(ひむか)三代と呼んでいます。

鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)は、育ての親である玉依毘売(たまよりびめ)と結婚して4柱を産みました。一番末っ子が神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)と申し、後の初代天皇の神武天皇となります。

 

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