【中学歴史・国史(日本史)】日向三代神話(1) 天皇に寿命が与えられた!?邇邇芸命の婚活話

日本の肇国を知ろう 記紀における日本の肇国
この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

邇邇芸命(ににぎのみこと)天照大御神(あまてらすおおみかみ)三大神勅(さんだいしんちょく)を受けて、地上世界に降臨されました。これを天孫降臨(てんそんこうりん)と言います。

神統譜
神統譜

邇邇芸命(ににぎのみこと)から火遠理命(ほおりのみこと)を経て鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)までの時代の神話を日向(ひむか)三代神話と言います。

スポンサーリンク

天皇に寿命が与えられた事件

邇邇芸命(ににぎのみこと)が地上世界に降りたってまず行ったのは、既に地上世界に住んでいる神々や人々と協力関係を築くことでした。神々が住む高天原(たかまがはら)から降り立ったところで、何の協力もなければ地上世界を治めることができないからです。

邇邇芸命(ににぎのみこと)は、笠沙之岬(かささのみさき)で麗しい美人と出会いました。その美人は、神生みでお生まれになった山の神である大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)でした。

邇邇芸命(ににぎのみこと)は、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)に結婚を申し込みました。木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)は、お父様でいらっしゃる大山津見神(おおやまつみのかみ)に報告しました。大山津見神(おおやまつみのかみ)はOKを出したので、輿入れと相成りました。

大山津見神(おおやまつみのかみ)は、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)に姉の石長比売(いわながひめ)を添えて、たくさんの嫁入り道具を持たせて送り出しました。

しかし、姉の石長比売(いわながひめ)は大変醜く、邇邇芸命(ににぎのみこと)は驚き呆れてその日のうちに石長比売(いわながひめ)を送り返してしまいました。

大山津見神(おおやまつみのかみ)は次のように仰いました。

「私が二人の娘を並べて差し出したのは、石長比売(いわながひめ)を側において頂ければ、天つ神御子の命は雪が降って風が吹いたとしても石のように変わらず動かないように、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)を側において頂ければ木の花が咲くように栄えますようにと願をかけたのです。ところが、石長比売(いわながひめ)を返されたのであれば、今後、天つ神御子の命は桜のようにもろくはかないものになるでしょう。」

これ以来、今に至るまで天皇たちの御命は限りあるものとなり、寿命が与えられてしまったのです。

木花之佐久夜毘売、3柱を生む

邇邇芸命(ににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)は結婚をしてすぐに子どもができたことが分かりました。しかし、邇邇芸命(ににぎのみこと)はたった一夜の交わりで妊娠をしたことが信じられませんでした。木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)は邇邇芸命(ににぎのみこと)に対して次のように話しました。

「私の産む子が、もし国つ神の子であれば無事に出産をすることはないでしょう。しかし、もし天つ神の子であれば無事に出産することでしょう。」

国つ神の子であるということは邇邇芸命(ににぎのみこと)との子ではないということになります。天つ神の子であるということは邇邇芸命(ににぎのみこと)との子であると言えます。

この後、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)は出口のない八尋殿(やひろどの)を作り、その中に入ると八尋殿に自ら火を放ち、その燃えさかる火の中で子どもを産みました。子どもは邇邇芸命(ににぎのみこと)との子であることが分かったのです。

子どもは3柱生まれました。

  1. 火照命(ほでりのみこと)
  2. 火須勢理命(ほすせりのみこと)
  3. 火遠理命(ほおりのみこと)又の名は天津日高日子穂穂出見命(あまつひこひこほほでみのみこと)

物語は、火照命(ほでりのみこと)と火遠理命(ほおりのみこと)の2柱の神様が主人公になっていきます。

 

タイトルとURLをコピーしました