今回は、ローマで起こった文明について、中学生の皆さんにもわかりやすく解説していきます。
ローマで起こった文明についても中学校の教科書や参考書にあんまり載っていません。
一方で、ローマの存在は現在のヨーロッパ世界にも大きな影響を与えています。何しろ地中海を手中に収めて人々の暮らしを豊かにしてきたのですから…。
中学の歴史は国史(日本史)が中心なので、あんまり時間をかけられません。そこで、ヨーロッパの基礎を築いたローマの歴史を中学生の皆さんにも分かるようにコンパクトにまとめてみました。くわしくは高校の世界史でじっくりと勉強しますが、世界史の苦手な高校生の皆さんにもぜひ読んでもらいたいなと思います。
ローマ人によるイタリア半島の統一
ギリシアでミケーネ文明が滅びる頃に、イタリア半島に移動してきた民族がいました。それがラテン人です。紀元前7世紀頃にラテン人の手によって都市国家が作られました。
紀元前509年にローマ人は以前からイタリア半島に住んでいたエトルリア人を追い出しました。ローマ人は都市国家を作りましたが、王はいませんでした。そう、共和制だったのです。ギリシアのポリスと同じ感じですね。
紀元前272年には、ローマはイタリア半島にいた民族を統一しました。
ローマ人がイタリア半島を統一した後の歩み – ローマ帝国
ローマ人がイタリア半島を統一した後、海外の国々を次々と統一していきます。
特に有名なのが、紀元前246年から紀元前146年にかけて3回「ポエニ戦争」という大きな戦争です。当時、地中海沿岸を勢力下においていたフェニキア人をローマ人が倒します。これで、ローマは地中海全体の覇権を握ることになります。
しかし国の領土が大きくなると、これまでの共和制を維持していくことが困難になりました。ここで、イタリアの伝統である「共和制を守っていくべきだ」という考え方を持った人と「1人のリーダーに権力を集中させるべきである」という考え方とが対立するようになります。
この対立は長い間続きましたが、そこに風穴を開けたのがユリウス=カエサルという人物です。この人は王にはならなかったものの、その後のローマさらにはヨーロッパに大きな影響を及ぼしていくのです。細かくは高校の世界史の授業で習いますよ。
さて、ローマの政治で絶大な力を持ったのは、オクタヴィアヌス(オクタウィアヌス)という人物です。彼がクレオパトラという絶世の美人が女王だったプトレマイオス朝エジプトを滅ぼすと、名実ともに地中海を統一します。紀元前27年にオクタヴィアヌスはアウグストゥス(尊厳者)という称号を元老院という当時の国家機関からもらいました。「帝政ローマ」の誕生です。
その後、ローマは、「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」と呼ばれる時代が200年以上続くことになりました。
古代のローマについては面白いサイトもあるので紹介しておきます。
ローマの文化について
最後に、ローマの発展の特徴について簡単にまとめておきます。
ローマが大きく地中海全体まで勢力を拡げることができたのは戦争に強かったからだけではありません。
- 「祖国を守ろう」の意識が強かった。自分たちの国を愛していたので、自分たちの生活を守るために一生懸命戦いました。
- 現在の法律の基礎にもなっている「ローマ法」と呼ばれる法律が作られた。「法を守る精神」と「優れた法体系」によって、ローマの統治は安定したものになりました。
- 生活水準を高めるためにインフラ(社会生活に必要な設備等)の整備を行った。例えば、川の近くなどに住まなくても生活ができるようになっていたのは水道が整備されたからなのです。現在でもローマの水道橋は世界遺産として残っています。また公衆浴場も整備されたので、衛生面も改善しました。ちなみに、日本のお風呂と古代ローマのお風呂とをタイムスリップしながらストーリーが進んでいくマンガや映画がヒットしていました。歴史の授業とは関係ないですが、こういうものから歴史に親しみを感じるのもよいかなと思います。
ローマにある公衆浴場(カラカラ浴場)やコロッセオ、スペインのセゴビア(スペインは当時ローマの勢力下でした)の水道橋などは世界遺産としても知られています。ぜひネットで調べてみてください。