「出雲の国譲り」がまとまりました。
だから、今度は葦原中国つまり地上に誰かが行って治めなければならない状況になりました。天照大御神は神々が住む高天原を治める必要があるので、代わりの神様を遣わす必要があります。
最初、天照大御神の御子であらされる天忍穂耳命を遣わそうと考えられていました。
ここで、天照大御神による「三大神勅」が発せられました。なお、「古事記」には三大神勅の記載があまりないため、「日本書紀」の記述を参考にしています。日本国民であれば「三大神勅」の内容をきちんと理解しておくべきです。これが神武天皇の「即位建都の詔」の内容に繋がり、現在まで続く天皇と国民の絆の基礎となる内容だからです。
前置きが長くなりましたが、早速始めましょう!
三代神勅(その1)「天壌無窮のご神勅」を解説します
天孫降臨の決定
天忍穂耳命は、天照大御神と高御産巣日神に次のように仰いました。
「私が降りる準備をしている間に子どもが生まれました。名前を天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命と言います。この子を葦原中国に降ろすべきでしょう。」
天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命は、通常、邇邇芸命とお呼びします。邇邇芸命は、高御産巣日神の娘である万幡豊秋津師比売命との間にお生まれになった子でした。
「天壌無窮のご神勅」の内容
天照大御神は邇邇芸命に対して次のように仰いました。
「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌とともに窮りなかるべし。」
「日本書紀」天壌無窮のご神勅より
と仰せになりました。三大神勅の1つである「天壌無窮のご神勅」です。
簡単に現代語訳をすると次のような感じなります。
葦の穂が豊かにめでたく生い茂っている状態がずっと続いている瑞穂の国は、私(天照大御神)の孫である邇邇芸命が治らす(治める)国です。天つ日嗣つまり皇位は、天地とともにずっと永遠に続いていくでしょう。
とても大切なことがこのご神勅には書かれています。簡単に言えば、日本は天照大御神の子孫が「しらす」国であると書かれています。天照大御神の子孫ではない人が日本国を統治してはいけないのです。奈良時代の道鏡(奈良時代の政治の様子)や室町時代の足利義満など、天皇になろうとした時の権力者はごく僅かで、いずれも阻まれています。
なお、「治らす」という言葉の意味についてはくわしくはこちらで説明しています。
これが「日本書紀」の中で有名な三大神勅の1つである「天壌無窮の神勅」と言います。
三代神勅(その2)「宝鏡奉斎(同床共殿)のご神勅」を解説します
邇邇芸命のお供と三種の神器
邇邇芸命は、国つ神の猿田毘古神が先導して、5柱の神様とともに天降ることになりました。
天児屋命 | 後の中臣連の祖。 時代が下ると、「藤原」姓を与えられる。摂関政治で有名ですね。 |
布刀玉命 | 忌部首らの祖。 |
天宇受売命 | 猿女君らの祖。朝廷の鎮魂祭儀で舞楽を演じる巫女を出す氏族。 「古事記」編纂者の稗田阿礼はこの一族から分かれて生まれた人物。 |
伊斯許理度売命 | 「天の岩戸」物語の時に八咫鏡を作った神。 作鏡連の祖。 |
玉祖命 | 「天の岩戸」物語の時に八尺の勾玉を作った神。 玉作部を統率した |
この時、
を授かりました(この記載は「古事記」にはあるが「日本書紀」にはない!)。
また、知恵の神様である思金神と天手力男神、天岩門別神も同伴させました。
邇邇芸命とともに降臨される神様も「天の岩戸の物語」の時に登場した神様だと気づいた人はとても素晴らしいです。「天の岩戸の物語」についてわかりすく解説したコンテンツも復習ついでにぜひ見てください。
ちなみに、ここで登場した、
- 八咫鏡
- 八尺の勾玉
- 草薙剣(くさなぎのつるぎ)
は三種の神器と呼ばれ、今でも天皇が代替わりを行う際に脈々と受け継がれています。
宝鏡奉齋のご神勅の内容を紹介します
さて、ここで「三大神勅」の1つである「宝鏡奉齋のご神勅」を紹介しましょう。
天孫降臨の前に、天照大御神は御子の天忍穂耳命に対して、「天の岩戸の物語」で登場した八咫鏡を授けて次のように仰いました。
吾が児(みこ)、此の宝鏡を視まさむこと、当に猶吾を視るがごとくすべし。興に床を同じくし、殿を同にして、斎の鏡と為すべし。
「日本書紀」の「宝鏡奉斎の御神勅」より
簡単に現代語訳をすると次のような感じになります。
「我が子、天忍穂耳命よ、この鏡(八咫鏡)を見るときは、私(天照大御神)だと思って見なさい。この鏡と同じ床で生活をし、この鏡と同じ御殿に住まい、神の鏡として扱いなさい。」
これはちょっとした解釈が必要になります。鏡を見ると自分の姿が映りますよね。自分の姿を見て国のリーダーたる振る舞いを行っているのかを確認せよ!というメッセージでもあります。鏡(かがみ)という音から「が」を取ると「かみ」になる。「が(我)」を取った「神」のような振る舞いを求めたのです。さらに解釈をすれば、「ウシハク」支配でなく「シラス」存在としてのリーダーを求めたのかもしれませんね。
これが三大神勅の2つ目、「宝鏡奉齋のご神勅」です。齋の鏡と同じ場所で生活しなさいと仰っているので、「同床共殿のご神勅」とも申し上げます。
三代神勅(その3)「斎庭稲穂のご神勅」をご紹介します
「日本書紀」では、天照大御神が邇邇芸命に対して、もう1つの神勅を下されました。
吾が高天原に所御す斎庭の穂を以って、亦た、吾が児に御せまつるべし。
日本書紀「斎庭稲穂の神勅」
こちらも簡単に現代語訳をしてみましょう。
「私(天照大御神)が住む高天原で作る神聖な田の稲穂を授けましょう。これを私(天照大御神)の子孫に伝えて稲が豊かに実るようにしなさい。」
つまり、国民が飢えないように稲作を発展させることを命じているのです。
このご神勅が、三大神勅と呼ばれる神勅のうちの「斎庭稲穂のご神勅」と申し上げるものです。
今でも新嘗祭というお祭りが皇居や神社で行われています。特に皇居で行われる新嘗祭は、宮中行事の中でも最も大切な行事とされています(宮内庁のウェブサイトより)。その起源をたどっていくと、「斎庭稲穂のご神勅」につながるのです。
邇邇芸命、日向に降り立つ
このようにして、邇邇芸命は神々とともに、現在の九州地方にある日向に降り立ちました。
ここまでのお話のことを、天孫降臨神話と呼びます。
邇邇芸命が地上世界に降り立った後、どのようにして地上世界を統治したのでしょうか?話は「日向三代」の物語へと進んでいきます。