聖徳太子の時代の頃に栄えた文化のことを飛鳥(あすか)文化と言います。
今回は、飛鳥文化の特徴とその内容をまとめてみることにしました。
現在の奈良県の飛鳥という場所で発展した文化だったことから飛鳥文化と呼ばれています。飛鳥は当時朝廷が置かれていました。蘇我氏の本拠地でもありました。
さて、文化史は具体的な写真があった方が理解が進みます。学校で使っている本でかまわないので、資料集(図説資料集)を用意して、解説を見てほしいなと思います。
特徴
日本で最初の仏教文化です。
日本に仏教が伝来してから仏教の教えが浸透するようになりました。
仏像や寺院などが作られるのですが、建築様式などが近くの朝鮮半島や中国(チャイナ)だけでなく、インドやペルシア(イラン)やギリシアなどのヨーロッパの文化の影響も受けていると言われ、世界性に富んだ文化と言われています。
寺院
古墳時代には古墳が多く作られていました。ところが仏教が日本に広まると古墳の数は激減し、代わって寺院がたくさん増えました。豪族たちが建てた寺院のことを氏寺(うじでら)と呼んでいます。
蘇我氏が建てた寺院
我が国初の本格的寺院が法興(ほうこう)寺です。後に飛鳥寺(あすかでら)と呼ばれます。蘇我馬子が建立し、蘇我氏の氏寺となります。
聖徳太子が建てた寺院
聖徳太子も寺院を建立します。聖徳太子が最初に建てたお寺は四天王寺(してんのうじ)です。四天王寺は、崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋が戦っていた時に、崇仏派側に参戦していた聖徳太子が戦いの勝利を祈って彫っていた四天王像を安置するために建てたお寺です。
そして有名なのが法隆寺(ほうりゅうじ)です。こちらも聖徳太子が建造した寺院です。これは現存する世界最古の木造建造物です。法隆寺はユネスコの世界文化遺産にも登録されています。法隆寺のご本尊が安置されている金堂(こんどう)という建物の柱にの真ん中にふくらみ(エンタシス)を見ることができ、ギリシアの神殿建築の影響を受けていると言われています。
また、聖徳太子は中宮寺(ちゅうぐうじ)という寺院も建てています。
彫刻
仏像名を覚える時のコツ
飛鳥文化に限らず、仏教色の強い文化には仏像がついて回ってきます。
仏像の名前を覚えるのが苦手だという人はとても多いです。漢字の羅列だけではなかなか覚えられません。図説資料集を片手に、仏像の名前は区切って覚えましょう。これが仏像名を覚えるときのコツです。
法隆寺金堂釈迦三尊像
まずは仏像名を分解してみます。
- 法隆寺(ほうりゅうじ)
- 金堂(こんどう)
- 釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)
と分けることができます。
金堂とはそのお寺で一番大切な仏像が安置されている建物のことを言います。
釈迦三尊像の部分ですが、釈迦如来(しゃかにょらい)という仏像に菩薩(ぼさつ)という像が両脇に立っています。だから三尊像。釈迦如来というのは仏教を開祖したお釈迦(しゃか)様のことを指します。
この仏像は、渡来人系の鞍作止利(くらつくりのとり)が作ったと言われています。
法隆寺夢殿救世観音像
先ほどと同じように仏像名を分解してみます。
- 法隆寺(ほうりゅうじ)
- 夢殿(ゆめどの)
- 救世観音像(ぐぜかんのんぞう)
と分けることができます。
法隆寺には夢殿という八角形をした建物があります。その中で秘仏(ひぶつ)とされていた仏像でした。明治時代になってから、アメリカ人のフェノロサという御雇外国人が開けてしまったという仏像です。
法隆寺夢殿の救世観音像は聖徳太子の等身大の像と言われています。
法隆寺百済観音像
これも名前を分解しておきましょう。
- 法隆寺(ほうりゅうじ)
- 百済観音像(くだらかんのんぞう)
百済というと朝鮮半島の国のことを思い出すかもしれませんが、日本産の木像です。
広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像
これも名前を分解してみましょう。
- 広隆寺(こうりゅうじ)
- 弥勒菩薩(みろくぼさつ)
- 半跏思惟像(はんかしゆいぞう)
広隆寺というのは京都にあるお寺です。そこにある弥勒菩薩という仏様が、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、物事を考えている(思惟)姿を像にしたという意味です。
新羅から聖徳太子に贈られたもので、それを渡来人系の秦(はた)氏が安置したものだとも言われています。そのために建てられたと言われているのが広隆寺です。現在の京都にあります。
広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像は、我が国で初めて国宝になった仏像です。
なお、法隆寺の隣にある尼寺(あまでら)である中宮寺にも弥勒菩薩半跏思惟像があります。
工芸
いくつか有名なものを紹介しておきましょう。
法隆寺玉虫厨子
法隆寺玉虫厨子(ほうりゅうじたまむしのずし)と読みます。
- 法隆寺
- 玉虫厨子
と分けましょう。
厨子というのは仏壇の一種だと考えてください。仏像を入れたり仏教の大切な教えが書かれている経典(きょうてん)などを納める仏具です。
法隆寺にある厨子は装飾に玉虫の羽を使っているところからこの名前が付いています。
中宮寺天寿国繡帳
中宮寺天寿国繍帳(ちゅうぐうじてんじゅこくしゅうちょう)と読みます。
- 中宮寺
- 天寿国
- 繍帳
です。
これは聖徳太子が薨去(こうきょ:皇族が亡くなること)した後に、それを悼んで聖徳太子のお妃が作らせたものです。
天寿国というのは極楽浄土のことです(様々な説があるようです)。聖徳太子が旅立っていく様を刺繍(ししゅう)で表現したものです。
現存する最古の刺繍としても有名です。