本稿は、昭和天皇が昭和21年(西暦1946年)1月1日によって渙発された「新日本建設に関する詔書」について、その全文の現代語訳を示しつつ、わかりやすく解説をします。
学校の教科書では、この「詔書」のことを昭和天皇による「人間宣言」があったと説明されます。しかしながら、実際にこの詔書を1文ずつ細かく奉読すると、「人間宣言」よりも昭和天皇が国民と共に敗戦後の復興作業を一緒に頑張っていこうという力強い意志が述べられた詔書なのです。なぜか中学校や高校の教科書では一番大切な部分の説明が抜け落ちているのが実情です(ちなみに、政府の国立公文書館による「新日本建設に関する詔書」の解説にも「人間宣言」の記載あり)。
本稿では「新日本建設に関する詔書」がどのような経緯で渙発されたのかを概観した上で、1文ずつ詔書の内容を見ていきたいと思います。
なお、この解説を作成するにあたっては、国語WORKSの松田雄一先生やLearn JapanのHall Noriko様、宮司の潮清史 様や「日本が好きになる歴史授業」の齋藤武夫先生や千葉県の渡邉尚久先生の講座や授業内容を多分に参考にいたしました。この場を借りて心から感謝申し上げます。
「新日本建設に関する詔書」が出された背景
「新日本建設に関する詔書」はいつ出されたのか?
「新日本建設に関する詔書」は、大東亜戦争の敗戦をむかえた昭和20年(西暦1945年)の翌年の昭和21年(西暦1946年)の1月1日に国民に向けて出された昭和天皇のお言葉です。
なお、「大東亜戦争」という呼称については、以下で説明をくわしく行っております。
教科書に載っている太平洋戦争と大東亜戦争は意味するものが異なるという点を知っておきたいものです。
「新日本建設に関する詔書」が出された背景
「大東亜戦争」に敗北した日本は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)の間接統治下に置かれました。GHQは日本の再編を進める中で、日本の精神的な象徴である皇室の存在を変質させることを目指しました。とりわけ、GHQの民間情報教育局が昭和20年(西暦1945年)12月15日に発した「神道司令」(SCAPIN-448)は「国家と神道の分離」を命じるものであり、国民と天皇との精神的な結びつきを断とうとするものでした。GHQは、この政策を強力に推し進めるにあたり、単なる司令ではなく「天皇自らの言葉」で国の内外に示すことが効果的であると考えました。天皇が自ら「神ではない」と宣言することは、日本の象徴的存在を根本から変革させる強いメッセージとなるからです。GHQの意図は明確であり、それは「天皇の権威を削ぎ、日本の精神的支柱を揺るがせる」ことに他なりませんでした。
しかし、昭和天皇はGHQのこの狙いを見抜いていました。昭和天皇は、GHQの要求を単に受け入れるのではなく、むしろそれを利用して新しい時代の指針を示す場とすることを選ばれたのです。
実は、昭和天皇は自らを「神」と考えたことは一度もなく、神格化の否定は自然な流れであり、特段の抵抗を感じるものではありませんでした。むしろ、昭和天皇が注目したのは「その声明がどのような形で世に示されるか」という点でした。昭和天皇はGHQに対し、一つの条件を提案しました。それが「五箇条の御誓文」を詔書の中に盛り込むことでした。
五箇条の御誓文は、明治維新の際に第122代の明治天皇が日本の神々と国民に対して立てられた誓いであり、日本の近代化と国民の協力を象徴するものでした。昭和天皇は、日本が再び立ち上がるこの時にこそ、五箇条の御誓文を掲げるべきであると考えたのです。これは単なる敗戦処理ではなく、日本の新たな国づくりの宣言でした。詔書には「天皇は神ではない」という宣言だけでなく、「日本は天皇と国民が共に新たな国を築いていく」という昭和天皇の強い願いが込められました。
結果として、詔書はGHQの目論見をかわしつつ、日本の精神的な基盤を再確認する内容となりました。
昭和天皇は、占領下にあっても日本の歴史的連続性と文化的自尊心を守り抜くことに成功されたのです。
こうして「新日本建設に関する詔書」は、単なる敗戦国の屈辱的な声明ではなく、未来を切り拓くための指針として日本人の心に刻まれることとなったのです。
「大東亜戦争」にまつわる3つの詔書を読もう
今回ご紹介する詔書は、「人間宣言」と一般的には呼ばれる詔書ですが、これはマスコミが勝手に付けた名前です。このネーミングは後述するとおり、決して的を射たものではありません。
「新日本建設に関する詔書」を丁寧に読むことで、「大東亜戦争」に敗れて復興を行うにあたって、昭和天皇がどのような思いを持っていたのかが分かります。
また、「新日本建設に関する詔書」とともに、「開戦の詔書」と「終戦の詔書」(いわゆる「玉音放送」)を合わせて奉読することで、我々のご先祖さまたちが我が国の存亡をかけて命懸けで戦った「大東亜戦争」の姿を思い起こすことができます。
謹んで「新日本建設に関する詔書」を1文ずつ解説してみました
ここからは、昭和天皇が大東亜戦争が終結した翌年のお正月に出された「新日本建設に関する詔書」を一緒に読み進めてみましょう。
「五箇条の御誓文」の理念に立ち返り、新日本の建設の決意表明をする
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇條ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其ノ志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。
ここに新年(昭和21年1月1日)を迎えます。思い起こしてみれば、明治天皇が明治の初めに、国家の方針として五箇条の御誓文を作成なさいました。明治天皇は天地の神々や祖先たちに対して以下の内容をお誓い申し上げなさいました。
- 広く会議を開いて議論を行い、大切なことは多くの人が意見を出し合って決めましょう。
- 身分の上下を問わず、心を1つにして積極的に国を治めて整えましょう。
- 文官や武官から一般の国民に至るまで、それぞれ自分の志すものを達成できるように、人々に希望を失わせないことが大切です。
- これまでの悪い習慣を捨てて、何事も普遍的な道理に基づいて行動するようにしましょう。
- 知識を世界に求めて、天皇を中心とする麗しい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。
明治天皇が仰ったこのご意志(叡旨)は公平であり正しく、またこれ以上何を加えようと言うのでしょうか。
朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民擧ゲテ平和主義ニ徹シ、敎養豐カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建設スベシ。
私(註: 昭和天皇)はここに誓いを新たにして、国の運命を開こうと思います。当然この「五箇条の御誓文」の趣旨に則って、これまでの悪い習慣を捨て、民意をのびのび育て、官民をあげて平和主義に徹し、教養を豊かにして文化を築くことで、一般国民の生活の向上を図り、新しい日本を建設したいと思います。
終戦後の日本国内の様子とそれに対する昭和天皇の大御心
大小都市ノ蒙リタル戰禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ眞ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我國民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、獨リ我國ノミナラズ全人類ノ爲ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
大小の都市で受けた戦争の被害、その被害にあった人々の苦労、産業の停滞、食糧不足、失業者の増加のありさま等はとても心を痛めるものです。そうではありますが、日本国民が現在の試練に直面しかつどこまでも文明を平和に求める決意を固くしてその結束を全うすれば、ひとり我が国のみならず全人類のために、耀かしき未来が開けることに疑いがありません。
夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、獻身的努力ヲ效スベキノ秋ナリ。
家を愛する心と国を愛する心は、我が国において特に大切なものであると見ています。さらにこの心を押し拡げて、人類愛の完成に向かって、献身的な努力をするべきときなのです。
惟フニ長キニ亘レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ 風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
思うに、長きに渡った大東亜戦争が敗北に終わった結果、国民は焦って苛立つ方向に流れがちになったり、失意のどん底に沈みがちになります。また、度を越した発言や行動の風潮がだんだんとひどくなり、道義心がものすごく衰えることで思想が混乱する兆しがあることは誠に以って心配にたえません。
天皇と国民の紐帯は、神話によるものではなくお互いの信頼と敬愛によって結ばれるものです!
然レドモ朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。
訳文
しかしながら、私(註: 昭和天皇)はあなたがた国民とともにあり、常に利害を同じくして喜びと悲しみ(休戚)を分かち合いたいと思います。私(註: 昭和天皇)とあなたがた国民との間の結びつき(紐帯)は、終始お互いの信頼と敬愛による関係であり、単なる神話と伝説によって生まれるものではありません。また、天皇を以って現御神(=天皇が天皇たる心を持って我が国をしろしめす存在)とし、また日本国民だから他の民族に優越するものとして、ひいては世界を支配すべき使命を持っているといった架空の観念に基づいた関係でもありません。
解説
「天皇ヲ以テ現御神トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ」の部分が一般的に天皇が神格を否定していると言われる部分です。教科書的には「人間宣言」をしている箇所だと言われています。国語的に素直に読めば、ここで一番大切なのは、「朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」という部分です。
初代の神武天皇以来、日本の政治体制は以下のような図の原理がずっとはたらいていたと考えられてきました。

日本は、例外はありますが、天皇が直接国民を支配しませんでした。天皇は治らすご存在です。天皇は国民を大御宝だと思い、お祈りをなさるご存在でした。一方、直接権力を握って政治を行うのは、天皇から任命された内閣総理大臣や征夷大将軍や摂政や関白などです。国民は天皇が大切にしている存在です。天皇が祈りの対象としている(=大切にしている)国民のために為政者は政治をすべきであると考えるのが日本の政治体制の基本的な考え方でした。
このような原理があることを知ったうえで、昭和天皇がこの詔勅の冒頭に「五箇条の御誓文」を引用されたことに注目しましょう。
- 広く会議を開いて議論を行い、大切なことは多くの人が意見を出し合って決めましょう。
- 身分の上下を問わず、心を1つにして積極的に国を治めて整えましょう。
- 文官や武官から一般の国民に至るまで、それぞれ自分の志すものを達成できるように、人々に希望を失わせないことが大切です。
- これまでの悪い習慣を捨てて、何事も普遍的な道理に基づいて行動するようにしましょう。
- 知識を世界に求めて、天皇を中心とする麗しい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。
「五箇条の御誓文」は、明治時代の幕開けに、江戸幕府があった頃の秩序に代わって、神武以来の肇国の精神に立ち返って(詳しくは「即位建都の詔」の解説を参照してください)、天皇と国民の絆の力で新しい日本を築くことを明治天皇が歴代天皇や神々の前で宣言されたものです。「五箇条の御誓文」の各条文に表れていますよね。
GHQによって様々な占領政策が行われている中で、私たち日本人は明治維新の頃の日本に立ち戻って戦災からの復興事業を成し遂げようということなのです。これが五箇条の御誓文を詔書の冒頭に持ってきた理由だと考えられます。
その上で「朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」という言葉が来ているのです。天皇と国民の絆は神話とか伝説とか現御神とかそういうのではなく、神武天皇以来変わらない相互の信頼と敬愛に基づいたものであって、これからも一緒に頑張っていこうね、という昭和天皇の大御心なのだということを分かってほしいなと思います。
学校の教科書から「しらす」と「うしはく」という2つの概念が抹消されてしまっているため、この部分の大切さに気づくことができなくなってしまっています。この部分が無視されてしまっているのは由々しきことです。
戦後の復興において日本政府及び国民に昭和天皇が望まれていること
それではここから再び詔書を一文ずつ拝読していきましょう。
朕ノ政府ハ國民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ爲、アラユル施策ト經營トニ萬全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我國民ガ時艱ニ蹶起シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又産業及文運振興ノ爲ニ勇往センコトヲ希念ス。我國民ガ其ノ公民生活ニ於テ團結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ氣風ヲ作興スルニ於テハ能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我國民ガ人類ノ福祉ト向上トノ爲、絶大ナル貢獻ヲ爲ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
政府は国民の試練と苦難をやわらげるために、あらゆる施策と経営とに万全の方策を講じてほしいです。同時に国民が当面の難題に対して心を決して立ち向かい、当面の困苦を克服するために、また産業及び文化の振興のためにためらわず前進することを希望します。国民がその公民生活において団結し、お互いを頼りお互いを扶けあい、寛容でお互いを許し合う気風をのばしていくことにおいて、私たち日本人は最高の伝統に恥じない真価を発揮するに至るでしょう。このようにすることで、日本国民が人類の福祉と向上のために絶大な貢献をすることに疑いはありません。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル國民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ自ラ奮ヒ自ラ勵マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
一年の計は元旦にあり。私の信頼する日本国民が私とその心を1つにして、自ら奮い自ら励まし、以ってこの大業を成就することを心から願います。
昭和21年の歌会始において詠まれた昭和天皇の御製
上の詔書は昭和21年の元日に国民に対して発せられたものですが、同じ時期に行われた昭和21年の歌会始において、昭和天皇は以下のような御製をお詠みになりました。御製というのは天皇陛下がお詠みになった歌のことを指します。
降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ
昭和天皇御製(昭和21年歌会始)
松そ雄々しき 人もかくあれ
「「降り積もる深雪」というのは敗戦後のダメージを表現された言葉です。「深雪」の中で色も変えずに存在する常緑樹の「松」は「とても力強く(雄々しき)」、私たち日本人もそのようにありたいものですね」という意味の御製です。
当時の日本において、戦災からの復興はとても大変なものだったことは想像にかたくありません。昭和天皇は松の姿を見て、我が国の復興を祈っていらっしゃに違いありません。
やはり日本は天皇と国民の絆が根底にあって成り立っている国なのだなということを感じます。
「新日本建設に関する詔書」 – 原文
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇條ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其ノ志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。
朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民擧ゲテ平和主義ニ徹シ、敎養豐カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノ蒙リタル戰禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ眞ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我國民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、獨リ我國ノミナラズ全人類ノ爲ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民擧ゲテ平和主義ニ徹シ、敎養豐カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノ蒙リタル戰禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ眞ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我國民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、獨リ我國ノミナラズ全人類ノ爲ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、獻身的努力ヲ效スベキノ秋ナリ。
惟フニ長キニ亘レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
然レドモ朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。
朕ノ政府ハ國民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ爲、アラユル施策ト經營トニ萬全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我國民ガ時艱ニ蹶起シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又産業及文運振興ノ爲ニ勇往センコトヲ希念ス。我國民ガ其ノ公民生活ニ於テ團結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ氣風ヲ作興スルニ於テハ能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我國民ガ人類ノ福祉ト向上トノ爲、絶大ナル貢獻ヲ爲ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル國民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ自ラ奮ヒ自ラ勵マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
御名御璽
昭和二十一年一月一日
内閣総理大臣兼第一復員大臣第二復員大臣 男爵 幣原喜重郎
司法大臣 岩田宙造
農林大臣 松村謙三
文部大臣 前田多門
外務大臣 吉田茂
内務大臣 堀切善次郎
国務大臣 松本烝治
厚生大臣 芦田均
国務大臣 次田大三郎
大蔵大臣 子爵 渋沢敬三
運輸大臣 田中武雄
商工大臣 小笠原三九郎
国務大臣 小林一三
「新日本建設に関する詔書」 – 現代語訳 (加代 昌広)
ここに新年(昭和21年1月1日)を迎えます。思い起こしてみれば、明治天皇が明治の初めに、国家の方針として五箇条の御誓文を作成なさいました。明治天皇は天地の神々や祖先たちに対して以下の内容をお誓い申し上げなさいました。
- 広く会議を開いて議論を行い、大切なことは多くの人が意見を出し合って決めましょう。
- 身分の上下を問わず、心を1つにして積極的に国を治めて整えましょう。
- 文官や武官から一般の国民に至るまで、それぞれ自分の志すものを達成できるように、人々に希望を失わせないことが大切です。
- これまでの悪い習慣を捨てて、何事も普遍的な道理に基づいて行動するようにしましょう。
- 知識を世界に求めて、天皇を中心とする麗しい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。
明治天皇が仰ったこのご意志は公平であり正しく、またこれ以上何を加えようと言うのでしょうか。
私(註: 昭和天皇)はここに誓いを新たにして、国の運命を開こうと思います。当然この「五箇条の御誓文」の趣旨に則って、これまでの悪い習慣を捨て、民意をのびのび育て、官民をあげて平和主義に徹し、教養を豊かにして文化を築くことで、一般国民の生活の向上を図り、新しい日本を建設したいと思います。
大小の都市で受けた戦争の被害、その被害にあった人々の苦労、産業の停滞、食糧不足、失業者の増加のありさま等はとても心を痛めるものです。そうではありますが、日本国民が現在の試練に直面しかつどこまでも文明を平和に求める決意を固くしてその結束を全うすれば、ひとり我が国のみならず全人類のために、耀き未来が開けることに疑いがありません。
家を愛する心と国を愛する心は、我が国において特に大切なものであると見ています。さらにこの心を押し拡げて、人類愛の完成に向かって、献身的な努力をするべきときなのです。
思うに、長きに渡った大東亜戦争が敗北に終わった結果、国民は焦って苛立つ方向に流れがちになったり、失意のどん底に沈みがちになります。また、度を越した発言や行動の風潮がだんだんとひどくなり、道義心がものすごく衰えることで思想が混乱する兆しがあることは誠に以って心配にたえません。
しかしながら、私はあなたがた国民とともにあり、常に利害を同じくして喜びと悲しみ(休戚)を分かち合いたいと思います。私とあなたがた国民との間は終始相互の信頼と敬愛によって結ばれており、単なる神話と伝説によって生まれているものではありません。天皇を以って現御神とし、また日本国民だから他の民族に優越するものとして、ひいては世界を支配すべき使命を持っているという架空の観念に基づくものでもありません。
政府は国民の試練と苦難をやわらげるために、あらゆる施策と経営とに万全の方策を講じてほしいです。同時に国民が当面の難題に対して心を決して立ち向かい、当面の困苦を克服するために、また産業及び文化の振興のためにためらわず前進することを希望します。国民がその公民生活において団結し、お互いを頼りお互いを扶けあい、寛容でお互いを許し合う気風をのばしていくことにおいて、私たち日本人は最高の伝統に恥じない真価を発揮するに至るでしょう。このようにすることで、日本国民が人類の福祉と向上のために絶大な貢献をすることに疑いはありません。
一年の計は元旦にあり。私の信頼する日本国民が私とその心を1つにして、自ら奮い自ら励まし、以ってこの大業を成就することを心から願います。
「新日本建設の詔書」をより深く学ぶ講座を紹介します!
この「新日本建設の詔書」を深く勉強できる講座を1つ紹介したいと思います。
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よろしければ、ご受講を検討されてもよいかと思います。
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