【中学歴史】古墳時代についてまとめてみました

古墳時代 中学歴史の全体構造
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今回は、中学校で習う「古墳時代」について、わかりやすくまとめてみました。

古墳(こふん)というのは、権力者の大きなお墓のことを言います。大きなお墓を造ることができるということは、それだけ大きな勢力が日本に存在していたというわけです。

弥生時代には、日本列島は大きな戦乱があったとチャイナ(中国)の歴史書に記述があるし、考古学的にも敵の侵略から集落を守るための濠(ほり)が設けられた環濠集落や矢に射られた頭がい骨が弥生時代の遺跡から発掘されています。

一方で、日本列島に前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)という大きなお墓が現れた後は、こういった争いの形跡の数はグッと減りました。

それでは、古墳がたくさん造られていた時代の我が国の様子を見ていきましょう。

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我が国の歴史全体の流れの中の古墳時代

歴史はまず大きなトコロから理解をすることが大切です。

中学歴史の全体構造
中学歴史の全体構造

大和朝廷が日本列島の大部分を統一しようとしていた時代だという大まかなイメージをまずは押さえておきましょう。

研究者によって評価が分かれるところではありますが、遅くとも3世紀中・後半から始まり、推古天皇が奈良県の飛鳥地方に都を遷す西暦589年までのことを古墳時代(こふんじだい)と呼びます。

以下、くわしく述べていきます。

古墳時代の時期

古墳時代はいつから始まったの?

今の日本のように、何年から何年まで何時代が続いたとキリよく明言することはできません。昔のことなので、史料が不足していたり、証拠が出てこないために研究が不十分だったり、研究者によって時代の解釈が異なったりするからです。

大まかにはではありますが、3世紀後半から遅くとも4世紀中頃にかけて、現在の奈良県の大和の豪族を中心として近畿地方に強大な連合政権が誕生したと言われています。この連合政権のことを大和政権(やまとせいけん)と呼び、政府のことを大和朝廷(やまとちょうてい)と呼びます。

3世紀の前半頃から、日本には小さな山のように盛り上がった大きなお墓が作られるようになっていました。これを古墳(こふん)と言います。その頃に、奈良県桜井市にある纏向(まきむく)遺跡に、90m級の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と呼ばれる大きな古墳が造られました。また、3世紀中期には纏向遺跡の地域に箸墓(はしはか)古墳という前方後円墳が造られたと言われています。前方後円墳は上空から見るとカギのような形をしており、円と四角形を組み合わせたような形のお墓です。これだけ大きなお墓を造ることができるのは大きな力を持った勢力がこの地域にいたことを示します。これが大和朝廷の中心であった大王(おおきみ)家、つまり現在の天皇のご先祖なのではないかという研究結果があります。

古墳時代はいつまで続いたの?

古墳は大王(おおきみ)家を象徴する前方後円墳をはじめとして各地で造られるようになりました。

ところが、朝鮮半島から仏教が伝わった6世紀中旬頃には巨大な古墳は造られなくなりました。

一般的に古墳時代の終了は、第33代の推古(すいこ)天皇が奈良県の飛鳥(あすか)に都が遷された時期であると言われています。ここからは飛鳥(あすか)時代と呼ばれるようになります。

大和朝廷による国内の統一

古墳時代に大和朝廷の勢力はどれぐらい拡がったの?

前方後円墳が誕生したのが3世紀の初めです。それから全国に古墳が分布するようになります。

5世紀末頃のものと思われる鉄剣や鉄刀が発見されています。埼玉県行田(ぎょうだ)市の稲荷山古墳(いなりやまこふん)や熊本県の江田船山古墳(えたふなやまこふん)から出土された鉄剣や鉄刀がそれです。そこには文字が記されています。

獲加多支鹵大王

という文字です。「獲加多支鹵」は「ワカタケル」と読み、これは第21代の天皇である雄略(ゆうりゃく)天皇であると言われています。雄略天皇がご在位されたのが5世紀末頃なのですが、前方後円墳の分布なども踏まえると、その頃には大和朝廷の勢力が北九州から東北の南部のあたりまで拡がっていたことが分かります。

大和政権の政治のしくみ

大和政権(やまとせいけん)は、先ほども述べたように、3世紀後半ごろに畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)で大王(おおきみ)を中心とする有力豪族の連合政権として誕生したとされています。

大和政権は氏姓制度(「しせいせいど」または「うじかばねせいど」)を使って豪族たちを従えました。

氏(うじ)とは、血縁関係をもとにした同族集団のことを指し、職務を分担しました。

また、大和政権(やまとせいけん)のトップの大王(おおきみ)から、氏ごとに職能を分担して家柄に応じて姓(かばね)が与えられました。いくつか例を挙げてみましょう。

  • 臣(おみ)・・・天皇家から分かれていった有力豪族。畿内では、蘇我(そが)氏や平群(へぐり)氏などが有名。代々政治家という感じ。地方では吉備(きび)氏や出雲(いずも)氏などがいる。いずれも地名である。
  • 連(むらじ)・・・天照大御神以外の神様の子孫からたどると行き着く有力豪族。職能軍団。軍事を担当する大伴(おおとも)氏や物部(もののべ)氏、祭祀(さいし)を担当する中臣(なかとみ)氏や忌部(いんべ)氏などがいる。
  • 君(きみ)・・・有力の地方豪族。自治権がまぁまぁ与えられている。関東地方を治める毛野(けぬ)氏や筑紫(つくし)氏などがいる。
  • 直(あたい)・・・一般の地方豪族
大和政権の豪族は神話とも関わりが深い

大和政権の中枢は、臣(おみ)の中のトップである大臣(おおおみ)や連(むらじ)の中のトップである大連(おおむらじ)などが中心となって政治が行われ、他にも専門の技術労働を行う品部(「ともべ」とか「しなべ」とか言う)が組織されていました。

大和政権は有力豪族による連合政権なので、それぞれの豪族も領地があり領民がいたりします。大和政権下の豪族の私有民のことを部曲(かきべ)と言い、私有地のことを田荘(たどころ)と言います。地方豪族のトップはわざわざ畿内の大王がいらっしゃるところに移住するわけではありません。地方に住んだまま大和政権の役職に就きます。例えば、国造(くにのみやつこ)とか県主(あがたぬし)と呼ばれる役職です。

古墳時代のコンテンツ

まほろば社会科研究室では、古墳時代については以下のようなコンテンツを公開しています。

古墳文化の特徴について

独特な形をしている巨大なお墓である前方後円墳が日本列島に広がりを見せた頃、人々はどのような生活をしていたのかをまとめてみました。

古墳時代は弥生時代からどのように生活が変わっていったのでしょうか?

朝鮮半島から渡来人(とらいじん)と呼ばれる人たちが日本に来て、彼らが日本に新しい文化を伝えました。上の記事は、そのあたりを中心に紹介した記事です。

中国(チャイナ)や朝鮮半島と我が国のかかわり

古墳時代には大陸から多くの文化が入ってきました。

古墳時代には大陸とのかかわりがあったということです。中国(チャイナ)大陸の様子や朝鮮半島の歴史の歩みを見つつ、それが我が国とどのように関係し合っているのかを学びます。

単に渡来人(とらいじん)がやってきた!ということだけ勉強してもダメです。朝鮮半島から渡来人が日本にやってきたのには理由があるのです。そこを一緒に考えていくのが上の記事です。

仏教の公伝

後の我が国の歴史の中に大きな影響を与えたのが仏教の伝来です。

公に仏教が伝えられたと言われる時期には2つの説がありますが、仏教の公伝の前後には大和朝廷による統治の危機が訪れました。その様子が分かるコンテンツをアップしました。

 

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