「ポツダム宣言」の全文をわかりやすく解説してみました

ポツダム宣言現代語訳をしてみました 「ポツダム宣言」全文試訳
ポツダム宣言現代語訳をしてみました
この記事は約33分で読めます。
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執筆 & 訳: 加代 昌広かしろ まさひろ(KÁSHIRO Masahiro)

本稿は、「ポツダム宣言」の作成からその内容(各項のリンク先には訳文の根拠が示してあります)、「ポツダム宣言」の受諾をめぐる日本側の議論やアメリカ合衆国やソビエトの動向などの流れをわかりやすく解説してみました。

本稿とあわせて、「大東亜戦争終結に関する御詔勅」の解説をご覧になっていただけると、より詳しくこの時代についての状況を知ることができます。

玉音放送についてわかりやすく解説してみました
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「ポツダム宣言」が作成された背景

「ポツダム宣言 (Potsdam Declaration)」は、米英ソの3カ国がドイツのベルリンの郊外にある都市ポツダムで日本を降伏させるための会談が行い、その結果を13個の条項にまとめられたものです。

英語での正式名称は、Proclamation Defining Terms for Japanese Surrenderと言います。直訳すると、「日本の降伏のための確定条件宣言」といった感じになると思います。外務省の公式邦訳では「米、英、支三国宣言」と訳されています。

「ポツダム宣言」が出された昭和20年(西暦1945年)7月26日の時点で世界はどのような情勢だったのかというと、第2次世界大戦を戦ったナチス・ドイツが降伏をし(西暦1945年5月8日)、いわゆる連合国に対抗する国が日本だけになってしまった状況でした。西暦1945年7月に行われたこのポツダム会談では、ドイツの戦後処理が話し合われたほか、日本をどうするのか?という話し合いがもたれました。

会談に参加したのは、アメリカ合衆国の大統領であったトルーマン、イギリスの首相であったチャーチル、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)のスターリン書記長でした。

トルーマン大統領は、西暦1945年4月にフランクリン・ルーズベルト大統領が急死したことを受け、副大統領であったトルーマンが大統領になったので参加しています。

イギリスのチャーチル首相はポツダムでの会談途中で国内の選挙に敗れ、労働党のアトリーに首相の座を譲る事件が起こっています。ただ、チャーチルは自分が総選挙で劣勢に立っていることを知っていたため、会談にアトリーを同席させています。この三者で会談が行われました。

「ポツダム会談」に参加した国と「ポツダム宣言」に調印した国はなぜ異なるのでしょうか?

「ポツダム宣言」の公式邦訳のタイトルや第1項を見ると、「ポツダム宣言」に調印をしたのは、アメリカとイギリスと中華民国となっています。

会談参加宣言調印
アメリカアメリカ
イギリスイギリス
ソ連中華民国
ポツダム宣言の会談参加国と宣言調印国との比較

中華民国が調印したという点がポイントです。それと同時に、会談に参加していたソ連はどこへ行ってしまったのか?が問題になります。

ポツダム宣言第1項

それは、日本とソ連は「日ソ中立条約」という条約を結んでいたからです。この条約は、昭和16年(西暦1941年)4月に締結された条約です。「大東亜戦争」が始まる前のことです。この頃から既に日本とアメリカの対立は決定的なものとなっていました。明らかに日本にとって不利な状況になっていました。そこで、日本は当時同盟を結んでいたドイツやイタリア、さらにソ連の力を借りてアメリカからよい条件を引き出そうと考えていたのでした。「日ソ中立条約」の内容は、簡単に言えば、日ソ以外の国が日ソのどちらかの国に攻撃を加えたとしても攻撃を加えたり味方になったりせず中立を守りましょうという内容です。当初の日本の思惑では日独伊ソの4カ国でアメリカに対抗しようということだったので思惑違いにはなっていましたが、攻撃されないのは日本にとってはプラスになるので、その点においてはよかったのかなと言ったところです。そして、この条約は西暦1946年4月までは有効な条約になりました。

だからソ連は日本に降伏を求めるような宣言文に調印できるはずもありません。条約違反になるからです。そこで、トルーマン大統領は中華民国の蒋介石しょうかいせきを呼び、米英中の三国の名前で、「ポツダム宣言」を発効することになったのです。

ところで、「日本の戦後処理をどうしようか?」と言っている会議に「日本とは戦争しません」という条約を結んでいるはずのソ連がどうして出席しているのか?という点がとても気になりますね。実はポツダム会談が行われる頃にはソ連は日ソ中立条約を破棄しようと考えていました。ポツダム会談が行われる少し前の西暦1945年(昭和20年)2月にヤルタ会談が行われていました。その時にアメリカとソ連は「ソ連の対日参戦の密約」を交わしていたのです。具体的には、ソ連はドイツが降伏してから90日以内に対日参戦すること、南樺太と千島列島はソ連に引き渡されるものとする、といったものでした。

以上を見て分かるのは、ソ連は日ソ中立条約を理由に「ポツダム宣言」では名前を連ねなかったものの、極秘に対日参戦に向けた準備をしていたのです。

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「ポツダム宣言」試訳全文

それではココで、「ポツダム宣言」の内容を見てみましょう。

ポツダム宣言には公式の邦訳が存在します。ただこの邦訳は漢字とカタカナで文章が構成されています。そういった影響もあってか、この文章の現代語訳が多く存在します。

しかし自分はそれに頼らずに英文を直接自分の力で和訳をしてみることにしました。歴史資料は原文にあたることが大切だと考えます。自分の力で訳すことは以下の点についてメリットがあると考えます。

  1. 英語力の向上: 原文を直接読むことで、英語の理解力が向上します。特に、歴史的な文書には高度な語彙や文法が使われているため、読解力が鍛えられます。
  2. 歴史的文脈の理解: 自分で訳すことで、文章の背景や文脈を深く理解することができます。ポツダム宣言の内容や意図を正確に把握することができます。
  3. 批判的思考の養成: 原文を訳す過程で、単語やフレーズの意味を深く考えることになります。これにより、批判的思考が養われます。
  4. 翻訳技術の向上: 翻訳の練習になるため、自分の翻訳技術を向上させることができます。特に、歴史的文書は精緻な翻訳を必要とするため、スキルが鍛えられます。
  5. 異なる訳の比較: 自分の訳と公的邦訳を比較することで、異なる翻訳のアプローチやニュアンスの違いを理解することができます。これにより、翻訳における多様な視点を学ぶことができます。

以下に示す試訳は、構文をしっかり取って1語1語を吟味しながら丁寧に訳したつもりです。各項の後ろにあるリンク先にはその訳の根拠を書きました。半分以上英文解釈の授業のような感じになりました。このブログの対象者は、専門家ではなく、中学生から大学生までの学生が主な対象です。したがって、大学受験で使用する参考書などのリンクが貼られています。

  1. 私たち、アメリカ合衆国大統領、中華民国政府主席及び「グレート・ブリテン」国の総理大臣は、私たちの数億の同胞を代表し、協議の上、日本国に対してこの戦争を終結するための機会を与えることに同意します。(訳文の解説はこちら
  2. アメリカ合衆国、英帝国及び中華民国の巨大な陸海空軍は、西方からの陸空軍によって何倍にも増強され、日本に対して最終的な打撃を加える態勢を整えています。日本が抵抗を止めるまで、日本に対する戦争を遂行する連合国の総意によって、この軍事力は維持され、鼓舞されています。(訳文の解説はこちら
  3. 世界の覚醒した自由な民族の力に対して、無益で無意味なドイツの抵抗の結果は、日本国民に対する先例として極めて明確に示されています。いま日本に集結するその力は、抵抗するナチスに適応した時、全ドイツ国民の国土や産業や生活様式を必然的に荒廃させたその力よりもはかりしれなく大きなものです。私たちの確固たる決意によって支えられている連合国の軍事力を完全に活用することは、日本軍の必然的かつ完全な壊滅を意味し、同じように日本国土の完全な破壊を意味します。(訳文の解説はこちら)
  4. 日本は、愚かな打算によって日本帝国を破滅の淵に追いやったワガママな軍国主義的な助言者によって統治され続けるのか、あるいは理性の道を追随するのかを決断する時が来ています。(訳文の解説はこちら
  5. 私たちの条件は次に述べるとおりです。私たちはその条件から逸脱することはありません。他に変わる条件もありません。遅延を許すこともありません。(訳文の解説はこちら
  6. 日本国民を欺き、惑わせて世界征服に着手させてきた者たちの権力と影響力は永久に除去されなければなりません。というのも、平和、安全及び正義という新秩序は、無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまで実現不可能であると私たちは主張するからなのです。(訳文の解説はこちら
  7. そのような新しい秩序が確立されるまで、かつ日本の戦争遂行能力がなくなったという確証があるまでは、連合国軍によって指定された日本の領土における諸地点は、私たちがここで定める基本的な目的の達成を確保するために占領されなければならないものとします。(訳文の解説はこちら
  8. カイロ宣言の条項は実行されるものとし、日本の主権は、本州、北海道、九州、四国及び我々が決定するような小さな島々に制限されるものとします。(訳文の解説はこちら
  9. 日本軍は、完全に武装解除がされた後に、平和で生産的な生活を送る機会を得て家に戻ることを許されるものとします。(訳文の解説はこちら
  10. 私たちは日本人が人種として奴隷化されたり、あるいは国民として絶滅させることを意図していません。しかしながら、捕虜に対して残虐な行為を加える人たちを含めて、全ての戦争犯罪者は厳しく裁かれるものとします。日本政府は、日本国民の間における民主主義的な傾向を復活させ強化させることに対するあらゆる障害を取り除くものとします。基本的人権を尊重するだけでなく、言論、宗教及び思想の自由が確立されるものとします。(訳文の解説はこちら
  11. 日本は日本経済を維持したり公正な現物賠償を取り立てることを可能とするような産業を維持することは認められますが、戦争のために再武装することを可能にする産業を維持することは認めないものとします。この目的のために、原材料を統制することとは区別して、原材料を入手することは認められるものとします。将来的に日本の世界貿易関係への参加は認められるものとします。(訳文の解説はこちら
  12. これらの目的が達成されて日本国民の自由に表明された意志にしたがって平和的な傾向がありかつ責任ある政府が樹立されたらすぐに、連合国の占領軍は日本から撤退するものとします。(訳文の解説はこちら
  13. 私たちは日本政府に対して、日本軍の無条件降伏を今ここに宣言すること及び無条件降伏に至る行動における誠意について適切かつ十分な保証を提供することを要求します。そうしない場合、日本は迅速かつ完全に破壊されるという選択肢しかありません。(訳文の解説はこちら

「ポツダム宣言」に入れられるはずだったもう1つの重要な文言とは!?

日本国にとってとても大切なご存在についての規定

ここまで「ポツダム宣言」を一通り読んできましたが、実はこれに加えてもう一つとても大切な文言が加えられようとしていました。

それは「天皇」についての条項です。全訳をご覧になっていただければ分かってくださると思いますが、天皇についての内容は含まれていません。

周知の通り、天皇陛下は日本の中心でいらっしゃいます。日本国は肇国ちょうこく以来、ずっと天皇を中心にしてきました。それは今でも変わることはありません。「ポツダム宣言」を受け入れることで「天皇」のご存在が廃されるとなれば、国が肇まって以来の大事件になります。それは今まで守ってきた日本の歴史や伝統がなくなることになります。国を守ることと天皇を守ることは同義です。つまり天皇をお守りするということは日本を守ることにつながります。

日本軍の武装解除は求められていますが、はたして天皇はどうなってしまうのでしょうか?

日本型ガヴァナンスの図
日本型ガヴァナンスの図

日本政府は天皇の地位を保障する条項が「ポツダム宣言」の中にあったら、すぐに降伏することも検討したのかもしれません。国体を変更せず多くの国民を救えるのであればその方がいいに決まっています。東京や大阪や名古屋などの大都市を中心に日本各地には爆撃が加えられ、多くの民間人が亡くなっています(ちなみにこれは国際法違反です)。ですから、戦争は継続せずに早く戦争を終わらせたいと考えるのは当然とも言えましょう。

一方、アメリカ合衆国も戦争で多くの軍人が犠牲になっていました。硫黄島の戦いや沖縄戦を通して、日本軍は追い込まれたら大きな力を発揮することを知りました(詳しくは沖縄戦の記事を参照してください)。

国を守ることや愛する人を守るために戦っているからこそ、日本軍は追い込まれてからも粘り強く戦ったのです。こうした日本軍の必死の抵抗があって、米軍も大きな犠牲を払ったのです。ですから、日米ともに戦争が終わることを望んでいた状況だったのです。

そこで、「ポツダム宣言」に「天皇の地位を保障する」という文言を入れたら、日本は早く降伏するのではないかとアメリカ合衆国も考えていたのです。

ですから、当初は天皇の地位の保障の文言がアメリカの「ポツダム宣言」の原案には存在していたのです。

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アメリカ合衆国の核実験が成功する

アメリカ合衆国の政府の中でも、これまで見てきたような日本をよく知る「知日派」は、日本にとってもアメリカ合衆国にとっても戦争をソフトランディングさせて終わらせようとしていました。

一方で、アメリカ合衆国政府の中でも日本を叩いた上で降伏を狙う勢力もいました。その代表がトルーマン大統領でした。

トルーマン大統領はソ連のスターリン書記長に対して対日参戦を求めます。ソ連が参戦したら日本は必ず降伏すると考えていたからです。

そのような中で、「とあること」がきっかけで米ソは激しく動き出します。

「ポツダム宣言」が公表される前の西暦1945年(昭和20年)7月16日に核実験が成功したのです。翌日の7月17日にポツダムにいたアメリカ合衆国のトルーマン大統領の下にその知らせが届きました。さらに7月21日に詳細なレポートがアメリカから届きました。かなり強力な爆弾であることをトルーマン大統領は知ることになります。これが原子爆弾です。トルーマン大統領は核兵器を持った唯一の国として「ポツダム会談」に臨むことができるようになりました。これを機に、トルーマン大統領は日本に原子爆弾の投下を命じることを決断します。さらに、当初「ポツダム宣言」にあった「天皇の地位を保障する条項」が削除されることになりました。天皇の地位を保障する条項があれば日本政府は原子爆弾を投下する前に降伏してしまうかもしれないからです。これまで見た通り、当初は日本が受け容れやすい内容だったものを、受け容れるのに議論が必要な内容に変えてしまったのです。ちなみに、多くのアメリカのスタッフは原子爆弾の投下には反対していました。

しかしこのアメリカの原子爆弾の核実験の成功をソ連は知ってしまいました。

ソ連は急いで対日参戦の準備を始めます。アメリカの原爆投下が成功して日本が降伏したら、先に述べたヤルタ会談で約束されたソ連の権益が失われてしまうからです。

  • 日本の降伏が先か?
  • アメリカの原子爆弾の投下が先か?
  • ソ連の対日参戦が先か?

をめぐって歴史の歯車は進んでしまいました。

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「ポツダム宣言」の受諾をめぐる国内の議論と原爆投下

原爆投下とソ連の対日参戦

さて、日本政府の上層部は「ポツダム宣言」を受け容れるべきかそれとも徹底抗戦をするのかで議論になりました。しかしこれもアメリカ合衆国の計算です。「天皇の地位を保障する」という日本が降伏するかもしれない条件をわざと外して国内の議論を混乱させようとしたのです。

当時の第42代の内閣総理大臣であった鈴木貫太郎すずきかんたろうが「ポツダム宣言」を突きつけられたことに対して「黙殺する」というコメントを出したと「朝日新聞」が報道します。ココで言う「黙殺する」とは「保留する」、具体的に言えば「議論をする時間がほしい」という意味でコメントをしたはずなのですが、海外メディアがコレを誤訳してreject(拒否する)と報じてしまいます。これを受けたアメリカ合衆国はいよいよ原子爆弾を投下する準備を始めます。

国内で「ポツダム宣言」を受諾するのか否かについて議論が日本政府の中でなされている隙を突いて、アメリカ合衆国はついに昭和20年(西暦1945年)8月6日午前8時15分に広島にウラン型原子爆弾「リトル・ボーイ」が投下されました。この時にたった1発の爆弾で約14万人以上の死者が出ました。

日本政府には徹底抗戦しようという声もありましたが、一方でソ連に仲介に入ってもらって和平の道を探ろうとしていました。

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しかし8月9日午前0時。攻めてこないと思っていたはずのソ連が「日ソ中立条約」を破って満洲と朝鮮を一斉に攻撃を開始しました(なお、前日に宣戦布告をしています)。ソ連は対日参戦のスケジュールを早めて参戦してきたのです。攻めてくるはずのないソ連が攻めてきたので、日本は大変驚きました。アメリカとソ連の2大国を相手に同時に戦うことは不可能です。いよいよ「ポツダム宣言」受諾に向けて動き出します。

昭和20年(西暦1945年)8月9日午前11時2分、今度は長崎にプルトニウム型原子爆弾「ファット・マン」が投下され、約7万人が死亡しました。

よく「原爆投下によって日本は早く終戦を決断できた」と言う人がいますが、この事実を追っていくとそうでもないことが分かりますよね。トルーマン大統領は原爆を使ってアメリカ合衆国の力を見せつけたかっただけです。むしろ原爆投下は終戦を遅くした行為だと言えます

「ポツダム宣言」の受諾 – 皆さんも御前会議に参加して政策選択をやってみよう!

8月9日の深夜から、昭和天皇のご臨席の下で御前会議ごぜんかいぎが開かれ、「ポツダム宣言」を受諾するのか議論が行われました。

ここで読者の皆さんには政策選択の問題を一緒に考えてみることにしましょう。皆さんも昭和天皇がいらっしゃる御前会議に参加してみましょう。

ここからは架空の中学校のとある教室での授業の様子を見ていくことにします。皆さんも必ず自分の意見を持って一緒に中学生と一緒に授業に参加をしてみましょう。

問題の提示

先生: 皆さん、今日はポツダム宣言の受諾を巡る御前会議について考えてみましょう。昭和20年(西暦1945年)の終戦間際、日本は非常に厳しい状況に追い込まれ、「ポツダム宣言」を受け入れるか否かを決断しなければなりませんでした。

さて、ここで皆さんに考えてもらいたい問題があります。

「ポツダム宣言を受け入れるとしたら、どのような条件で受け入れるべきでしょうか?」

皆さんが検討すべき選択肢は次の3つです。

  1. 4つの条件を要求しつつポツダム宣言を受け入れる:4つの条件とは、 国体護持 (天皇の地位を維持すること)・占領拒否 (連合国による占領は受けない)・日本自身による武装解除 (日本が自らの軍隊を解散させること)・ 戦争犯罪は自国によって裁くという4つの条件を指す。
  2. 国体護持の一条件で受諾する: 天皇の地位を守ることを唯一の条件として受け入れる。
  3. 無条件で受諾する: 連合国の要求をすべて無条件で受け入れる。

先生: この3つの案のどれを選ぶべきか、皆さんの意見を聞かせてください。それぞれの立場に立って、なぜその案を選ぶべきかを説明してください。そして、他の意見に対してどのように考えるかも一緒に議論してみましょう。

各生徒の意見を発表します!

先生: それでは、まずAさんから意見を聞いてみます。

Aさん: 私は、四条件を連合国軍に出しながら「ポツダム宣言」を受諾すべきだと考えます。

まず第一に 国体護持、つまり天皇の地位を維持することです。天皇は日本の歴史と文化の核心であり、国民統合の中心です。この地位を失うことは、国家としての一体性を失い、国民の精神的支柱が崩れることを意味します。だからこそ、天皇の地位を守ることが最優先です。

次に 占領拒否、つまり連合国による占領を受けないことです。占領されれば、日本は主権を失い、完全に支配されてしまいます。独立性を維持し、自らの力で復興するためには、この条件が必要です。

三つ目の条件は 日本自身による武装解除、つまり日本が自ら軍隊を解散させることです。他国に任せれば、日本の軍事力は外部の手に委ねられますが、自国で武装解除を行うことで、国防に関する決定権を保持し、日本の責任を示すことができます。

最後に 戦争犯罪は自国によって裁く、つまり戦争犯罪を日本国内で処理することです。他国が裁けば、厳しい処罰や国内混乱が生じる可能性があります。日本自身が裁くことで、法と秩序を保ち、戦後の再建をスムーズに進めることができます。

ただし、この四条件を提示する立場の実質は、「戦争をまだ終わらせない」、つまりポツダム宣言を受諾しないという立場にあります。この時点で、私たち四条件派は、本土決戦に持ち込み、さらにゲリラ戦を展開することで、戦争を継続し、最終的により有利な条件を引き出すことを狙っているのです。なぜなら、私たちは日本がこのまま無条件で降伏することは、国の尊厳と未来を完全に失うことになると考えているからです。日本の歴史と伝統を守り、国民の誇りを保つためには、可能な限りの抵抗を続けることが重要です。私たちは、日本が完全に屈服する前に、少しでも有利な条件での講和を目指し、そのためには徹底的に戦い抜く覚悟を持っています。

さらに、私たちが戦い続けることは、将来の日本にとっての独立性を守るための最後の抵抗でもあります。戦争が終わった後も、日本が連合国によって完全に支配されることなく、独立した国家として再建できる道を残すためには、今ここで徹底的に戦うことが必要だと考えています。

私たちは、日本の未来を守るために、たとえ犠牲が伴っても、最後まで戦い抜くことが国としての責務だと信じているのです。この戦いが、日本の伝統と文化、そして国民の誇りを守るための最終手段であると考えています。

したがって、四条件を提示することで、日本がただの敗戦国として連合国に完全に支配されるのを避け、戦争に負けても日本の主権をできるだけ守りたいと考えます。

先生のコメント: Aさん、ありがとうございます。なぜ最後まで戦おうとしたのか、その背景には、国としての誇りと独立性を守りたいという強い信念がありました。無条件降伏は、日本がこれまで培ってきた歴史や文化、国民の精神的な支えである天皇の地位を失うことにつながるという危機感があったのです。したがって、ただ単に戦いを続けたいのではなく、戦いを通じて少しでも有利な条件での講和を引き出し、日本の未来を守るための道を探っていたのだろうと感じているのですね。戦い続けることは、単なる抵抗ではなく、次の世代に日本という国家を残すための最終的な手段だったということでしょう。

次に、Bさんの意見を聞いてみましょう。

Bさん:

私は、国体護持の一条件でポツダム宣言を受諾するべきだと思います。天皇の地位を守ることは、日本にとって絶対に譲れない条件です。なぜなら、日本は古来より天皇を中心に国民が一つにまとまり、共に国家を支えてきました。天皇と国民のつながりは、日本の歴史と文化の核心であり、それを失うことは、日本が日本でなくなることを意味します。

「国体護持」は我が国にとって最も重要です。天皇の地位が失われると、日本の国民精神や社会の基盤が揺らぎ、国家の再建は極めて困難になります。天皇の存在は、日本の歴史や文化に深く根ざしており、天皇を失うことは、日本という国のアイデンティティそのものを失うことにつながります。

また、アメリカ側でも天皇の地位をどう扱うかについて意見が分かれていました。アメリカの一部にはいわゆる「天皇制」を残すべきだという声もありました。彼らは、日本が「天皇制」を維持することで、戦後の統治が円滑に進むと考えていたのです。このため、国体護持という条件は、連合国側にも受け入れられる可能性があると考えています。しかし、原爆の威力を背景に無条件降伏を求める強硬派の意見が最終的には優勢となり、ポツダム宣言には天皇の地位を明確に保証する条項は盛り込まれませんでした。

他方で、私は戦争を一刻も早く終わらせることが、日本と国民を守るために最も重要だと考えています。日本はすでに甚大な被害を受け、国民の苦しみは限界に達しています。このまま戦争を続ければ、さらに多くの犠牲が生まれ、国家の存続自体が危ぶまれる状況に陥るでしょう。

天皇の地位を守ることが日本にとってはとても重要であり、それを唯一の条件として戦争を終わらせることで、日本が国家として再建される基盤を維持できます。そのリスクを考えると、まずは国体護持の一条件での受諾を優先し、その後の交渉に委ねる方が現実的だと思います。

先生のコメント:

Bさん、あなたの主張は非常に的を射ていますね。国体護持、つまり天皇の地位を守ることが、日本という国にとってどれほど重要であるかを強調した上で、戦争を一刻も早く終わらせるべきだという現実的な視点を持っている点が素晴らしいです。

天皇は、長い歴史の中で日本の文化や社会の核心として、国民を一つにまとめる役割を果たしてきました。その存在が失われれば、日本のアイデンティティそのものが揺らぎ、戦後の国家再建は非常に困難になるでしょう。あなたが示したように、天皇の地位を守ることが、日本という国の存続にとって最も重要な条件であるという認識は、当時の多くのリーダーたちに共通していた考え方です。

また、アメリカ側でも天皇の地位をどのように扱うかについて、意見が分かれていたことを指摘した点も非常に重要です。連合国の中には、日本の統治を円滑に進めるために、天皇制を維持すべきだという声もありました。しかし、原爆の威力を背景に無条件降伏を求める強硬派の意見が優勢となり、ポツダム宣言には天皇の地位の保証が盛り込まれなかった事実は、当時の交渉の難しさを物語っています。

あなたが示したように、戦争を一刻も早く終わらせることが、国民の命を守り、日本の未来を築くために最も重要であるという考えは、非常に現実的です。天皇の地位を守ることを唯一の条件として掲げ、その後の交渉に委ねることで、日本が国家として再建される基盤を維持しようとする姿勢は、当時の状況を踏まえた賢明な判断だと思います。

Bさんの主張は、歴史的な背景と現実的な視点をしっかりと織り交ぜた、非常に説得力のあるものです。

それでは、Cさんの意見を聞いてみましょう。

Cさん: AさんとBさんの意見を聞いて、私も天皇の地位を守ることが日本にとって非常に重要であることは理解しています。天皇が日本の歴史や文化、そして国民の統合の象徴であることも間違いありません。しかし、私が強く感じているのは、戦争が一日でも長引けば、それだけ多くの国民が命を失い、国土がさらに荒廃するということです。

私は、戦争を一刻も早く終わらせるためには、無条件でポツダム宣言を受諾することが最善だと考えます。確かに、国体護持は重要ですが、今の状況では、まず戦争を終結させることが最優先です。なぜなら、戦争が続けば続くほど、日本は再建する力を失い、国民の生活がさらに破壊されてしまいます。戦争が終わらなければ、たとえ天皇の地位が守られたとしても、国民がいなければ日本は再建できません。

また、アメリカ側でも天皇の地位をどう扱うかについて意見が分かれていることは理解していますが、戦争を早期に終わらせるためには、無条件降伏を受け入れ、その後の交渉でできる限りのことをする方が、国民の命を守る上で現実的だと思います。今は、条件をつけるよりも、一刻も早く戦争を終わらせ、国民を守るために無条件降伏を受け入れるべきだと考えます。

先生のコメント:

Cさん、あなたの主張は非常に思慮深く、国民の命を最優先に考えている点が印象的です。AさんやBさんが天皇の地位を守ることの重要性を強調しているのに対し、Cさんは戦争の早期終結が最も重要だという立場から、日本全体の未来を見据えた意見を述べています。

戦争が続くことで、多くの国民が犠牲になり、国土がさらに荒廃していく現実を冷静に見つめ、無条件での降伏を選択することで一刻も早く戦争を終わらせるべきだという考え方は、非常に現実的かつ人道的です。確かに、条件をつけて戦争を長引かせることで得られるものよりも、戦争を早く終わらせることで救える命の方がはるかに多いかもしれません。

また、Cさんが指摘したように、戦争が終わった後であれば、交渉の余地も生まれるかもしれません。無条件降伏を選ぶことで、まずは戦争を終わらせ、その後の復興をどう進めるかを考える余裕が生まれることは確かに重要です。

3人の生徒同士で意見交換をしてみよう!

先生のコメント: 3人の意見をそれぞれ出してもらったので、次にそれぞれの立場からそれぞれの意見についてコメントをしてもらいましょう。Aさんはいかがでしょうか?

Aさん: Cさん、私はあなたが戦争を終わらせたいという気持ちを理解しますが、無条件降伏を選ぶことで、日本の主権や未来が大きく損なわれることを心配しています。私たちが四条件を提示することで、戦後の日本が連合国の完全な支配下に置かれることを防ぎ、少しでも有利な条件で再建を進めることができるのではないでしょうか。戦争を続けることが苦しい選択であることは承知していますが、日本の未来を守るためには必要な戦いだと考えます。

Bさん: Aさん、私もあなたが言うように、日本の未来を守るためには主権を守ることが重要だと思います。しかし、四条件を提示することで交渉が難航し、戦争が長引くリスクもあります。戦争が長引けば、日本が再建するための力をますます失ってしまうでしょう。天皇の地位を守ることに焦点を当て、他の条件を後に交渉する方が、戦争を早く終わらせるための現実的なアプローチではないでしょうか。

Cさん: Aさん、Bさん、それぞれの意見に一理ありますが、私は無条件降伏が今の日本にとって最も現実的な選択だと考えます。確かに、四条件を守ることで日本の主権を守ろうとする努力は尊重しますが、戦争が続くことでさらに多くの命が失われ、日本という国そのものが立ち直れなくなる可能性があります。戦争を早く終わらせ、その後で可能な限りの条件交渉を行う方が、国民にとっても国にとっても良い結果をもたらすと思います。

Aさん: Cさんの意見を聞いて、私も戦争の早期終結が重要であることは理解します。しかし、無条件降伏では、戦後の日本が連合国の完全な支配下に置かれ、日本の独立性が失われる恐れがあります。戦争が終わった後、日本が再び独立国家として立ち上がるためには、今、少しでも有利な条件を勝ち取るために戦い続けることが必要だと感じています。戦争を終わらせることが目的ではなく、その後の日本の未来をどう守るかが私たちの使命です。

Bさん: Aさんの気持ちはよく分かりますが、今の状況で戦争を長引かせることは、日本にとってさらに深刻な打撃をもたらすでしょう。国体護持という一条件を守りつつ、戦争を早期に終結させることで、戦後の日本が再建される基盤を作ることができると考えています。アメリカ側にも天皇の地位を認める意見がある以上、交渉の余地は残されています。無条件降伏ではなく、少なくとも国体護持だけでも守る道を探るべきです。

Cさん: Bさんのおっしゃる通り、国体護持という条件を守ることも重要です。しかし、無条件降伏を選択することで、一刻も早く戦争を終わらせ、多くの国民の命を救うことができると信じています。戦後の日本の再建は確かに厳しいものになるかもしれませんが、まずは戦争を終わらせ、その後の復興に力を注ぐべきです。犠牲がこれ以上増えることを防ぐために、今、最善の選択をする必要があると思います。

Aさん: 皆さんの意見を聞いて、私も戦争の終結が必要であることは理解していますが、日本の未来を考えると、私はやはり四条件を守ることが重要だと信じています。戦後に日本が再建されるためには、今の戦いで少しでも有利な条件を引き出し、主権を守ることが不可欠です。戦争を続けることが苦しい道であることは承知していますが、日本の未来のために今ここで踏ん張ることが必要だと思います。

Bさん: Aさんが言うように、戦後の日本をどう再建するかは確かに重要です。しかし、戦争が長引けば、その再建自体が困難になってしまう可能性が高いです。天皇の地位を守りつつ、戦争を終結させ、その後の交渉で日本の主権を守るための道を探ることが、今の状況では最も現実的な選択だと考えます。

Cさん: 皆さんが日本の未来を考えていることは理解できますが、私は、今の状況で最も重要なのは国民の命を守ることだと思います。無条件降伏を選ぶことで、まずは戦争を終わらせ、その後にできる限りの交渉を行う方が、日本全体にとってより良い結果をもたらすのではないかと信じています。今、私たちが選ぶべき道は、犠牲を最小限に抑えるための選択ではないでしょうか。

議論をまとめよう

先生のコメント: 皆さん、今回の議論では、それぞれの立場から深く考え、意見を交わすことができましたね。Aさんは、日本の主権や文化を守るために、四条件を提示することが重要だと主張しました。Bさんは、天皇の地位を守ることが、日本の再建にとって絶対に必要であり、これを一条件としてポツダム宣言を受諾するべきだと述べました。そしてCさんは、戦争を一刻も早く終わらせるためには無条件で受諾するのが最善であると強調しました。

皆さんが議論したそれぞれの立場には、それぞれの理があり、どれも簡単に選ぶことができない非常に難しい選択です。

しかし、ここで重要な点をお伝えします。実際の御前会議では、Cさんのように無条件での受諾を提案する立場の人はいませんでした。その理由は、日本側が天皇の地位が保証されない限り、降伏を受け入れることは不可能だと考えていたからです。

もし天皇の地位が守られなければ、日本の伝統的な価値観や社会構造が崩壊し、日本という国家そのものが失われる危機感が、当時のリーダーたちには強くありました。天皇を中心とする日本の社会構造は、長い歴史の中で培われてきたものであり、それを失うことは、日本が国家として存続できなくなると考えられていたのです。

また、ここで忘れてはいけないのは、アメリカ側でも天皇の地位を守る「国体護持」の重要性を理解し、支持する意見が少なからず存在していたことです。アメリカ政府内でも、天皇を維持することが日本の統治と再建に有益であると考える者もいました。彼らは、日本が無条件降伏することで天皇制が廃止されると、逆に日本国内での混乱が増し、統治が難しくなるのではないかと懸念していました。

しかし、原爆投下による圧力や、無条件降伏を求める強硬派の影響もあり、最終的にはポツダム宣言には天皇の地位を明確に保証する条項は盛り込まれませんでした。日本側はこの状況の中で、天皇の地位を守ることを最優先に考え、降伏の条件として「国体護持」を求めました。

実は、今日のCさんの立場は、皆さんが議論を深めるために私が設定したもので、実際の御前会議でそのような意見が出たわけではありません。しかし、戦争を一刻も早く終わらせるためには、無条件での受諾も一つの選択肢として考えられるべきだという視点は、現代の我々にとっても重要な考察の一つです。

皆さんがこの議論を通じて、どれだけ複雑で困難な決断が当時のリーダーたちに求められていたかを理解してくれたことを期待しています。そして、歴史の中で行われた決断が、私たちが今どう考えるべきかを示唆していることも忘れないでください。

実際の御前会議はどうだったのだろうか? – 2度のご聖断

先生: では、実際の御前会議について詳しく説明します。

昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。そして8月9日には長崎に2発目の原爆が投下され、同じ日にソ連が満洲国への侵攻を開始しました。この時点で、日本は非常に厳しい状況に追い込まれていました。

このような状況を受けて、御前会議が開かれました。この会議には、日本の主要なリーダーたち、鈴木貫太郎内閣総理大臣、東郷重徳外務大臣、平沼騏一郎枢密院議長、阿南惟幾陸軍大臣、米内光政海軍大臣、梅津美治郎陸軍参謀総長、そして豊田副武海軍軍令部総長が参加し、昭和天皇も臨席されました。

会議の目的は、ポツダム宣言をどのように受け入れるかを決定することでした。ここで、参加者は二つの立場に分かれました。

A案: 阿南陸軍大臣、梅津参謀総長、豊田海軍軍令部総長が支持した四条件を提示する案です。彼らは、天皇の地位を守ることを含む四条件で連合国と交渉し、できるだけ日本の主権を守るべきだと考えました。

B案: 東郷外務大臣、米内海軍大臣、平沼枢密院議長が支持した、国体護持の一条件のみでポツダム宣言を受諾する案です。彼らは、戦争を早急に終わらせるために、天皇の地位の維持を最優先に考えました。

A案とB案は支持者がそれぞれ3名ずつで、意見は真っ二つに分かれました。通常であれば、議長である鈴木首相が決定権を持つところですが、鈴木首相は自らの判断で決めることを避け、昭和天皇にご聖断を仰ぎました。

ここで少し、御前会議の緊張感をお伝えします。会議は深夜に行われ、参加者たちは皆、天皇陛下の到着を固唾を飲んで待っていました。ソ連が満洲に侵攻し、長崎に原爆が投下されるなど、国内外の状況が悪化する中で、日本の運命がこの会議で決まるという重い空気が漂っていたのです。

会議が始まり、まず鈴木首相がこれまでの経緯を説明しました。その後、東郷外務大臣が、「多くの条件を提示すれば、連合国に全て拒否される恐れがあるため、天皇の地位を守ることだけを条件にするべきだ」と提案しました。これに対し、阿南陸軍大臣や梅津参謀総長、豊田海軍軍令部総長は、「戦争を続けるべきだ」と反論し、四条件を守る必要があると強く主張しました。

その後、平沼枢密院議長が、原子爆弾の威力や今後の戦争継続について各参加者に質問しました。これに対して、軍の指導者たちは、原子爆弾に対する十分な防御策がないことや、戦争継続の困難さを認めつつも、抗戦の意思を示しました。

ここで昭和天皇は、「自分はどうなってもよいから、国民の命を救いたい」と述べられ、ポツダム宣言の受諾を決心されました。このご聖断により、最終的にB案が採用され、日本は戦争を終結させる方向に進むことになりました。

御前会議の後、8月10日の午前中には、日本がポツダム宣言を受諾する旨を連合国側に伝えました。しかし、12日に返ってきたアメリカからの回答には「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、連合軍最高司令官に従属する(be subject to~)」との内容が含まれていました。これに対し、外務省は「従属する」を「制限の下に置かれる」と訳し、連合国側との交渉を穏便に進めようとしましたが、軍部の抗戦派は「隷属する」と解釈し、強く反発しました。これをバーンズ回答と言います。

最終的に、昭和天皇はこの返答を受けてもなお、戦争を続けることが日本の破滅を招くと判断し、またこの回答を通じて、天皇の地位の存続が少なくとも認められる可能性があると解釈し、最終的にポツダム宣言受諾を決定しました。つまり2度目のご聖断を下しました。このご聖断により、8月14日に「大東亜戦争終結の御詔勅」が発表され、翌日15日に昭和天皇がラジオで玉音放送を行い、戦争の終結が国民に伝えられました。

この歴史的な決断により、日本は戦争を終わらせることができましたが、それは昭和天皇が国民を救うために最終的なご聖断を下されたからこそ実現したものです。昭和天皇は、ソ連の参戦やアメリカからの厳しい返答を受けつつも、国民の生命と未来を守るために冷静に判断を下されたのです。このご聖断が、日本の再建においても非常に重要な意味を持つことを、私たちは忘れてはなりません。

昭和20年(西暦1945年)8月14日に「大東亜戦争終結の御詔勅」が国民に向けて渙発されました。

そして、昭和20年(西暦1945年)8月15日正午、昭和天皇はラジオで玉音ぎょくおん(天皇のお声のこと)で詔勅しょうちょく(天皇の命令のこと)が出されました(玉音放送)。

大東亜戦争終結に関する詔書について全文について解説してみました

主な内容としては、「ポツダム宣言」を受諾することとそれに関した国民へのお願いです。この御詔勅は、厳密には戦争を終了させることを仰ったものではありません。ポツダム宣言を受諾したことを伝えられた内容でした。

西暦1945年(昭和20年)の9月2日のことです。アメリカの軍艦のミズーリ号の甲板で交わされた「降伏文書」が調印されました。これですべての戦闘が終結しました。

しかし戦争はこれで終わったわけではありません。アメリカ合衆国を中心としたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、西暦1945年(昭和20年)9月より占領政策を開始しました。

この占領政策は7年間続きました。

アメリカ合衆国とソビエトとの冷戦が激化したことに伴い、アメリカ合衆国が東アジアの拠点として沖縄や小笠原諸島を直接統治して在日米軍継続を望んだために、講和、つまり日本の独立を認める方向へと政策の舵を切りました。

西暦1951年(昭和26年)9月8日にアメリカ合衆国のサンフランシスコで行われた講和会議で平和条約 (Treaty of Peace with Japan)が調印され、その効力が生じる西暦1952年(昭和27年)4月28日に終焉を迎えました(「サンフランシスコ平和条約」第1条第a項より)。

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本当に日本は「世界征服」を目指して開戦を決意したのか!?

ここまで、先の大戦の終結までのプロセスを「ポツダム宣言」の受諾を中心に見てきました。

ここでもう一度「ポツダム宣言」第6項の訳文を示したいと思います。

日本国民を欺いて世界征服の道に着手させた者たちの権力と影響力は永久に除去されなければなりません。というのも、平和、安全及び正義という新秩序は、無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまで実現不可能であると私たちは主張するからです。

ポツダム宣言第6項訳文より

本当に日本は世界征服を目指して先の大戦の開戦を決意したのでしょうか?

まずは当時の日本の立場を明確に示した史料として、「開戦詔勅のご詔勅」を紹介したいと思います。

また、平成27年(西暦2015年)の安倍晋三政権において、この文言についての解釈について閣議決定がなされています。詳しくは、ポツダム宣言第6項の解説をご覧ください。

このようにしてみると、やはり当時の日本が「世界征服」を目的に戦いを始めたのではないと史料上では解釈できます。

まとめ

このように原文を見ながら事実関係を追っていくと、戦争が終結した後の新しい世界を巡った主導権争いが繰り広げられている中で日本が終戦に向かって舵を切っていった事実が浮かびあがってきます。

大東亜戦争をポツダム宣言だけで評価することができないのは当然のことですが、先の大戦については多角的な視点で見ていかなければならないと筆者は考えます。

執筆:

KÁSHIRO Masahiro [加代 昌広]

日本まほろば社会科研究室客員研究員
ブロガー、インスタグラマー、日本スペイン法研究会会員
 
法学の専門知識を活かし、日本とスペインの法制度について深く研究しています。日本スペイン法研究会の一員として「現代スペイン法入門」(嵯峨野書院)や「Introducción al Derecho Japonés actual」(Editorial Thomson Reuters – Aranzadi)の一部を執筆しました。

また、日本まほろば社会科研究室」内で、小中高校生向けの社会科教育に役立つ数多くのコンテンツの制作に協力し、自らもコンテンツの執筆を行っています(コンテンツはリンクをクリック)。

自身のさまざまな経験から得た「学びの楽しさ」を、日本まほろば社会科研究室からアップロードされるコンテンツを通じて共に学びを共有する皆さまに向けて伝えることを使命としています。

X JAPANやThe Last RockstarsのリーダーであるYOSHIKIさんの熱心なファンでもあります。

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